2021/5/18パラレル山の手セラピスト
〜目黒駅〜
山の手線のすべての駅でセラピストになれたら卒業しようと昨日誓った。
ツイッターにも載せた。
これでもう逃げられない。
本当にすべての駅に行けるのか、先に僕の都合が悪くなってしまうのか、いまから記すこの手記は、何を間違ったか女風のセラピストに”なってしまった”一人のオトコの闘争記である。
誓って、最初に向かった場所が新宿とか渋谷とかのベタな歓楽街ではなく目黒駅になったことは予想外だった。
当日の予約で僕を目黒に呼び出してくれたのは絢音(あやね)さんだ。
絢音さんに初めて触れた場所は渋谷だった。
直接聞いたわけじゃないけど、丁寧な絢音さんのことだから、あの日はきっと勝手がわからずでネットで検索して、渋谷が多いとかなんとか見たから渋谷での待ち合わせになったんだと思う。
渋谷ではその一度きり。
「目黒駅のほうが安心できるんだよね」
理由は聞いたことない。そういう”事情”をズケズケと聞くのはこの世界ではタブーだ。「どこに住んでるの?」はすなわち「僕のことキルしちゃっていいよ。品質は決して良くない男です」に変換されてしまう。
イケてない質問はすべてこの身に傷として跳ね返ってくる。
恐ろしい場所なんだ。女風ランドは。
「渋谷は人が多すぎて目が回っちゃうから嫌い」
は絢音さんの口癖だった。
会うたびに”人混みのせいで気づかないけど渋谷が疲れる真の原因は坂道なんだよ”とか”汚すぎる朝の渋谷にルンバを放したらきっと逆に身動きが取れないだろう”など、生き生きと語る絢音さんの姿は女講談師である。
よっ!神田伯山子!
その影響で僕は人が多いか、または目が回りそうか、そういうものを見た時に絢音さんのことを思い出す。
なんなら、テーブルの上のティーカップを見ただけで、遊園地のコーヒーカップを連想して「目が回りそう」ってなって、絢音さんを思い出していた。
風が吹けば桶屋が儲かる。
ティーを注げば絢音と目が回る。
目黒駅は山の手線を内回りに渋谷から二駅。
ラブホテルは数える程度しかない。
絢音さんはいつもどことなく品性漂うこの街にぴったりの装いだった。
それなのに上京一年目の短大生が使ってそうなキャラクターもののエコバッグをいつも持ち歩いてるのがかわいくて、おかげで僕は物怖じせずに絢音さんの隣を歩くことができた。
「山の手線制覇したら卒業するって本当?」
まず僕は『制覇』なんてそんな勇ましいメンタリティじゃないんだよってしつこく伝えた。
そもそも制覇なんて漢字、ヤンキーか野球狂しか使わないんじゃないか?待てよ。甲子園の夢潰えた球児がヤンキーになるのではないか?となると彼らは同一人物…。
絢音さんが笑ってる。
僕のどうしようもない冗談をいつも否定しない絢音さんの優しさがたまらなく好きだ。
「もうすぐ卒業するんだったら色々話したいな」
あまりに自然な語り口に一瞬上手に反応できなかったけど「聞いてみたいな」と素直に答えた。
ちなみに絢音さんの初恋の男の子のあだ名が「チンパンジー」だったことは知ってる。
短めて「チン君」とみんなが呼ぶ中、絢音さんは(そんな男子のおちんちんのことを可愛く言ったような言葉…)てな具合に恥ずかしくて「ンパ君」と呼んでたそうだ。
ンパて。
しりとりのルールが覆るあだ名。
なにより呼びにくそう。
そんなに奥ゆかしい少女が目黒でこんなことをするなんて、時の流れはざん…いや、素敵ですね。
絢音さんが告げた”色々”は前の旦那さんとのエピソードだった。
絢音さんが当時に感じていた苦しい部分は家族とか友人とかには見えづらいものだったらしく、長く一人きりで悩んでいたらしい。
一人の孤独のなかには一人であるが故の救いなるものがあるはずだと思う。
だけど、きっと、絢音さんは孤独の中の一人の救いさえも失って、なにも考えたくない、なにもかも考えられないくらいに落ち込んでしまってたんじゃないかと想像した。
偉そうな言葉にならないように気をつけながら、素直に絢音さんのよいところを出発点にして僕は言葉を選んだ。
「しっかりしてるね」
絢音さんは僕の言葉を飲み込んでそう返した。
満足そうでも不満足そうでもない絢音さんの言葉の質感に、僕はきっと絢音さんには僕の言葉は響かなくて、なんならこの問題に関しては誰の言葉も響かないんじゃないかって、そんな風に自分のなかで悟ったんじゃないかって、勝手に寂しくなったりした。
本当にそうなのか僕にはわからないし、もしかしたら絢音さん自身もわからないかもしれない。
僕が過去に「詩男(うたお)君はしっかりしてるから嫌だ。つまらない」と女性に言われてしまってひどく落ち込んだ話をしたら、絢音さんはまた笑ってくれた。
絢音さんのやさしいところがより際立つようにちょっと激しめにした。
長い時間、絢音さんの”あいだ”に顔を埋めたせいで、顎下から汗が滴り落ちた。
ヒトがセックスを気持ちいいものだと思えるように出来ていてよかったって心底おもった。
さっきの絢音さんの話のせいかもしれない。
そんな風にセックスを持ち寄ることはダメなことなのかもしれない。
でもいまはこれでいい。
きっとこれでいいんだ。
「いつまでも山手線コンプリートできなくて一生セラピストだったら面白いね」
髪を整えながら絢音さんが楽しそうにこっちを見ている。
僕は「だとしたら、そんなみっともないことないよね」と呟き、本当にそうだなと思った。
「私はもう目黒しか呼ばないよ。目黒を通るたびに思い出してほしいしね」
一体、僕はこれから何度「目黒」と「ティーカップ」と「目が回るコーヒーカップ」を見かけるだろうか。
夕方どきの目黒はビジネスマンが多くて、社会の表面って感じがして眩しく映った。
僕が「皆さんが働いてる時間に僕らはすごいことしてたね」って伝えると「はっきり言わないでよ」と絢音さんが照れ臭そうに呟いた。
「ねぇ詩男君さ、私が目黒に住んでると思ってるでしょ?」
僕は「正直そうかなと思ってる」も素直に答えた。すると絢音さんは「違うんだよ」と言い、僕の質問を待ち構えている。
僕は「気になるから、差し支えなければ教えて?」と聞くと「いいよ」と答えた後に「当ててみて」と絢音さんが続けた。
「大崎?」絢音さんが首を横に振る。「武蔵小山!」絢音さんが違うと答える。「目白!?」絢音さんが真反対じゃんと呆れて笑う。観念した僕は「ギブアップ。教えて」と告げる。
「正解はね…渋谷」
僕は目が回った。
詩男(うたお)
–この小説を書いたセラピストさん紹介–
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