2021/7/1性欲も食欲と同じ。人の生活に欠かせないもの〜扇の場合〜
「食欲を満たすシェフのように、女性の人生に欠かせない性欲をセラピストとして満たしたい」と話すのは萬天堂の扇さん。今回は彼の小説。
施術はすべてリラックスのために
「ちょっと、電子タバコ吸っていいっすか」
施術が終わった後、扇はゆるくウェーブのかかった髪を掻きながら、電子タバコの味を感じた。
さっきまでおもてなしをしていた遥さんとは、全く違う味がする。
どちらが好みかは言えない。これはこれ、それはそれだ。
「扇くんてさぁ、何してる人なの? セラピスト専業?」
話しかけた彼女のショートカットは、湿気でこちらもくるくるしてしまっていた。
さっきまで緊張しきっていた遥さんは、いまや歯を見せて笑う。
「俺っすか。昼間にも仕事ありますよ」
そっか、と遥さんの髪の毛が後ろを向いて、それ以上詮索することはない。
余計なことは聞かない、それを自分と女性のルールにしていた。
彼女は質問を変えて、ベッドの枕を抱きしめながらこう聞いてくる。
「じゃ、施術するときにどんなこと考えてるの?」
「そうだな……、この時間をめいっぱい楽しんでほしい、ですね」
扇は『リップサービスに聞こえたかな』と思った。
だが、実際そうではないのだ。
自分がセラピストとして女性の隣に立っている間は、その人を心から楽しませたい。
楽しませるために最高のおもてなしをしようと思っている。
リラックスしてもらうための音楽も、自分自身は得意でないから入らない湯船の温度も、余計な気を遣わせないための言葉選びも。
気づけば、遥さんは再びベッドに寝転がっていた。
あまりの奔放さに扇は少し苦笑いする。
たしかにまだ時間は残っているから、自由にしてもらって大丈夫。
「私はさー、楽しいよ? 扇くんにおもてなしされてるの。なんかさ、高級なレストラン行ってるみたいだった。あんまり行ったことないけどね」
遥さんの言葉に、扇はどきりとした。
「……よく俺の考えてること、わかりましたね」
「だって本当にそんな感じがしたもの」
まるでフルコースをサーブするように
彼は、施術をするときにまるでフルコースを給仕するように、と心掛けている。
別に強く研修されたわけではないのだが、それが一番のおもてなしだと知っていた。
ちゃんと相手に伝わっているんだ、という嬉しさがあるのは、もちろんのことだ。
「遥さん、俺ね。気持ち良くなりたいって思うのも、美味しいもの食べたいって思うのも、同じ『よりよく生きてたい』って気持ちだと思うんすよ。人として生きてるかぎりは、そうしたいって考えるのが普通」
扇の言葉に、遥さんはきょとんとしていた。
自分の欲望を肯定されたことがあまりなかったのかもしれない。
「美味しいもの食べさせるのが料理人の仕事なら、俺たちセラピストはとことんまで気持ち良くなってもらうのが仕事っす。そこになんの違いもない」
彼はそう信じている。
ジャンクなカップラーメンが美味しい日もあれば、高級なフランス料理のフルコースが食べたい日もある。同じように、とにかく性欲を満たしたい日もあれば、誰かからとにかく大切に扱われたい日だってあるのだ。
「そうかも……私、今日扇くんに大事に扱ってもらったかも。なんか久しぶりだった」
遥さんが声を嬉しげに弾ませると、扇は自分のすべきことをしっかりできた気になった。
まるで名店のシェフに肩を並べたようだ。
いや、業界が違うだけで、大して変わらないのかもしれない。
それからもう少し話をしていると、終わりの時間が近づいてきた。
「遥さん、そろそろラストオーダーのお時間になりますが、なにかご要望は?」
彼女は洒落を理解して、そうねぇ、と言う。
「電子タバコを吸った口で、最後にキスしてくれる?」
「え?」
自分なりのおもてなしをやりきったあとの、頑張った人が私は好きなのよ、と遥さんは笑った。
おわり