写メ日記
No.46 習い事
2024年3月19日 23:05 の投稿
僕、以前の日記ナンバーを1つ飛ばして45番目のお題書いちゃってましたね。
改めて書こうと思ったお題が『第六感』だったので省略します。既に2つ前の日記で深く言及していますので。
て事で改めて46番目。習い事。
これは以前書いたアルバイト程多くの物はしてこなかったのですが、何種類かは多くの物をこなして来ました。
まずは幼少期。
極真空手、くもん、習字、野球、テニス、塾などをさせて貰ってました。
極真空手は保育園の頃から小学2年の後半までしていた記憶があります。
その頃僕は活発な子供ではあったものの、少し内気で性格が捻じ曲がらないように格闘技の精神力を磨かせる為に入門させてと両親が言っていました。
流石両親。それもその通りで、僕は人を痛めつける事はあまり好きでは無くいつの稽古も億劫で組手なんかでは思いっきり手を抜いて自分自身が多く殴り蹴られる様に仕向けていました。
その頃から僕は体格が良く、師範には『お前は手を抜かなかったらかなり上まで目指せるポテンシャルがある』と仰って頂いてましたがどうにも上手く飲み込めず、そのまま次の習い事をする目処を立てて去ってしまいました。しかし、確実に礼儀と所作はこの空手が身に付けてくれたと思っています。
くもんや習字、学習塾なんかは小学校高学年で行っていた記憶があります。
それも全て中学受験をする僕に向けて両親が用意してくれた物でした。
硬筆の方は中々癖字で今になっても癖は抜けませんが、毛髪の方は一度が二度と入賞した記憶があります。
くもんや塾は本当に良くサボった。今になって思い返すと先生方が母親に電話を入れて、良く叱られた覚えがあります。
決して安くは無いそのお金を使ってくれていたのに。
本当にごめんなさい。恐らくこの日記を見ている事は無いと思うけど、まだ恩返しの途中だからもう少し待っててね。
運動の方は生まれ付き何をやっても上手く行きました。
テニスは一年齧った程度ですが、センスがあるからチームに残って欲しいと言われましたが僕には野球かあったのでお断りしたような。
野球。僕が人生で一番続けて来た野球。
小学校3年生の時に友人から誘われて地元の少年野球団に入ったのがきっかけでした。
最初は『週末に友達とスポーツ出来るなんて最高じゃん!』なんて甘い気持ちで入りましたが、現実はそんな甘いはずもありませんでした。
まだまだ体罰バリバリの時代で、練習が身に入ってなかったり、試合でヘマをやるとしっかりと折檻をくらっていました。しかも野球一家お得意の地獄のランニングも、陸上チームやサッカーチームよりもこなして来た実感があります。
野球では人間関係の大切さ、チームスポーツの難しさ&楽しさ、根性、上下関係と本当に多くの物を学んできました。
ここから小中高と野球を続けて行くわけですが、今振り返れば確実に、あの地獄の日々も楽しかった青春の一部でした。
小学校では4番と外野兼クローザーを任され、中学では5番とサード兼クローザーを任され、高校では硬式野球から草野球に以降して4番とショートを任されました。
沢山ボコボコにされ、血を吐くまで走り回らされ、夏場の鉄板のように熱いアスファルトの上で手押し車をやらされて次の日には水ぶくれを作って授業に。
友達とバカやって怒られてメンバーを外されて先生の悪口を言って、またバレて掃除させられて。
雨の日はオフになるかならないかギリギリわからないレベルでドキドキしながら中止の連絡を待って。中止だったら外は雨だけれど誰よりも心晴れやかに友達と遊んで。
そんな青春を作ってくれた野球人生でした。
…気持ちがこもって野球の記憶を喋りすぎたかな。
でもそれくらい僕の人生の青春を占めていたのもまた間違いなくて。
一つの日記では書ききれないほど色んな事をやって来ました。
子供の為に大金をはたいてここまでしてくれた両親には本当に感謝だし、ちゃんとその事を忘れない様にしまっておこう。
習い事に関しては賛否両論あると思いますが、僕はこんな素晴らしい経験が出来るなら是非やらせたいと思う。
今からでも何かを学ぶのは遅く無いしね。
ちなみに今気になってるのは『縄師』『税関係』『ジム』などなど。
したいと思う気持ちを忘れない様にしよう。
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