写メ日記
No.95 嫌われること
2024年9月20日 19:05 の投稿
色んな解釈が出来る題名だなぁ。
ふむ。嫌われることか。
僕は祖父譲りの臆病です。かなり人の目を気にするタチだし、人からの好感度も実は肌感で把握していたりします。
まぁこの考えは変わる事は無いでしょうが、最近は『自分を対等に扱ってくれる相手』のみに限定出来るようになってきました。
昔はそれこそ万人に好かれる様に太刀振舞って来ていたし、自分が多少損を請け負っても仕方がない事だな
と自分に言い聞かせている節がありました。
ですが、周りの恵まれた環境に『良い様に使われるな』『自分を見てくれている人に全力で愛情をこめろ』とお叱りを頂いた事がございまして。
確かに自分の事を無下に扱い、自分の思い通りに動かないと期限を悪くする人間の為に何をやっているんだ?と思い直す事が出来ました。
その無駄な僕の努力のせいで、僕を大事に扱ってくれている人をちゃんと見れていなかった。不甲斐ない事この上ない。
そう思い返したら、その『どうでも良い人達』に嫌われる事なんて微塵の怖さも無くなりました。むしろ清々しいとすら思いはじめるくらいにまで。
人間誰しも、嫌われる為の行動を熱心に行う人など居ないはずだと僕は信じています。
誰しもが何かしらの愛情を求めているはず。だから色んな思惑が交錯するし、心の琴線とやらが弛んだり引き締まったりする訳なんです。
嫌われる事はもう慣れては来ましたが、人を嫌う事はあまりしなくなったなぁ。
嫌うと言うよりかは切除?する感覚かな。僕は昔から『あ、もういいや』と思う事があったら、例えどんな事が起きようと感情が戻ってくる事がありません。
蠍座や僕の性格に起因するものの様なのですが、自分の中にある、きめ細かく扱いづらい物に少しでも傷をつけられると、一気に傷付けた相手への全ての感情がシャットアウトしていく様な感覚。
まぁ、そんな事は今まで生きてきて、両手で数える程度しか無いのですがね。
よっっぽどの事が無い限り、自分でもそこまでなる事はありません。深い信頼や安心を覚えるのが難しいのと同時に、一度相手に興味を持ってしまえばその感情を手放す事は決して容易では無いのです。
んー、少しダブスタっている表現が散見されますが、まぁこの写メ日記達には『出来るだけ僕が考えている頭の中の具体化』と言う趣旨が強いので、ちっとばかしチグハグでもそれでも良いんだろうか。
編集も校閲もゲラも僕が用意するんだから。
とにかく、人に嫌われるのは慣れた(本当は慣れてない)。
自分が本当の意味で人を嫌う事はそうない。
よっぽどの事が無い限り、と言ったところか。
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