写メ日記
学生時代は部活の先輩
社会人では業績優秀の大先輩などなど
その時々で凄いなぁと思う人が一人くらいは居たりするんじゃないかなと思うんです。
学生時代はバレーが上手い人が発言権もあって、憧れの存在になったけど
社会人になってバレーが上手いか下手かってプロでない限り関係ないし
結局のところ、僕は実力よりも姿勢が大事なんだと思う。
何事にも適正はあると思っていて、何事にも個人差はあると思う。
チャンスは平等でも、結果は平等じゃないし、実らない努力もある。
例えば僕が中学生の頃、190cmの高身長選手が、バレーを初めて数ヶ月で県の選抜戦に選ばれ、メディアで取り上げられていました。
どれだけテクニックがあっても、素人の190cmの打点には届かなくて、ここには明らかに身体的なハンディキャップがある。
じゃあこの高身長選手が選抜に出ているから凄いのか、偉いのかっていうのは、また別問題ですよね。
身長のおかげで選抜に選ばれたくらいで、とバカにする必要もなければ、逆にその人の人間性を必要以上に持ち上げる必要もないと思うんです。
何が言いたいかと言うと、6年以上競技をしてきた中で、「実力がないから」という理由で発言権がなくなったり、あたかもその人の人格が否定されるようなことが起こってしまうのがどれだけ検討はずれかということです。
実力のある人の発言にパワーがあることは間違ありませんが、だからといって結果を出せていない人が蔑まれたり、バカにされる理由にはならないと思うんです。
一言に集約すると、こういうのは相対評価ではなく絶対評価であるべき。
実力があるから教え方が上手いわけじゃないし、その逆も然り。だから相手を「多面的に見る」って大事だと思うんです。
これはセラピストがお客様を外見で判断しないっていう当たり前のことと同じで、無意識にしてしまう偏った捉え方をなくすことは凄く大事だと思うんです。
いろんな角度から、「お客様はこういう方」というのを、直接話していく中で探っていく。
性格は容姿に出る
相手の容姿からその人の生活習慣なんかを分析する専門家のビデオを見たりすると、この言葉はあながち間違いではないのかもしれませんが
まずは知ろうとする姿勢から。
これが僕が大切にしていることです。
ただ僕も意識していてもまだまだで、
予測や推測が「断定」に無意識のうちになってることもあります。
そういうフィルターなしに人と接することもできる人
僕はそういう人がすごく尊敬できるなって思います。