写メ日記
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2024年9月20日 19:05 の投稿色んな解釈が出来る題名だなぁ。ふむ。嫌われることか。僕は祖父譲りの臆病です。かなり人の目を気にするタチだし、人からの好感度も実は肌感で把握していたりします。まぁこの考えは変わる事は無いでしょうが、最近は『自分を対等に扱ってくれる相手』のみに限定出来るようになってきました。昔はそれこそ万人に好かれる様に太刀振舞って来ていたし、自分が多少損を請け負っても仕方がない事だなと自分に言い聞かせている節がありました。ですが、周りの恵まれた環境に『良い様に使われるな』『自分を見てくれている人に全力で愛情をこめろ』とお叱りを頂いた事がございまして。確かに自分の事を無下に扱い、自分の思い通りに動かないと期限を悪くする人間の為に何をやっているんだ?と思い直す事が出来ました。その無駄な僕の努力のせいで、僕を大事に扱ってくれている人をちゃんと見れていなかった。不甲斐ない事この上ない。そう思い返したら、その『どうでも良い人達』に嫌われる事なんて微塵の怖さも無くなりました。むしろ清々しいとすら思いはじめるくらいにまで。人間誰しも、嫌われる為の行動を熱心に行う人など居ないはずだと僕は信じています。誰しもが何かしらの愛情を求めているはず。だから色んな思惑が交錯するし、心の琴線とやらが弛んだり引き締まったりする訳なんです。嫌われる事はもう慣れては来ましたが、人を嫌う事はあまりしなくなったなぁ。嫌うと言うよりかは切除?する感覚かな。僕は昔から『あ、もういいや』と思う事があったら、例えどんな事が起きようと感情が戻ってくる事がありません。蠍座や僕の性格に起因するものの様なのですが、自分の中にある、きめ細かく扱いづらい物に少しでも傷をつけられると、一気に傷付けた相手への全ての感情がシャットアウトしていく様な感覚。まぁ、そんな事は今まで生きてきて、両手で数える程度しか無いのですがね。よっっぽどの事が無い限り、自分でもそこまでなる事はありません。深い信頼や安心を覚えるのが難しいのと同時に、一度相手に興味を持ってしまえばその感情を手放す事は決して容易では無いのです。んー、少しダブスタっている表現が散見されますが、まぁこの写メ日記達には『出来るだけ僕が考えている頭の中の具体化』と言う趣旨が強いので、ちっとばかしチグハグでもそれでも良いんだろうか。編集も校閲もゲラも僕が用意するんだから。とにかく、人に嫌われるのは慣れた(本当は慣れてない)。自分が本当の意味で人を嫌う事はそうない。よっぽどの事が無い限り、と言ったところか。Twitterは本垢が謎の凍結をされてしまったので、新アカウントを立ち上げました。…フォローして頂けると、今日の食事がいつもより美味しく感じる様にアナタ達の舌に少し細工しておきました。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@amatsusho_sub
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2024年9月18日 20:05 の投稿失敗は成功の元。小さい頃から耳にタコが出来る程聞き飽きた言葉ですよね。そんなの皆わかりきっているし、失敗を幾千にも積み重ねた結晶が成功な訳です。だから『失敗を恐るな!』なんて百も承知だし、失敗を恐れて何が悪い、とも思います。自分にとって無駄な失敗を重なるようであれば、それは完全に悪手だと僕は思います。何も考えずに、ただがむしゃらに無駄をし続ける事の意味は皆無と言っても良いでしょう。頭と精神と身体を使って、正しく三位一体で事を運んだ上での失敗であれば前に進む事が出来るんじゃ無いかって。これもタダの僕の持論ですから、大いに聞き流して下さい。話2割程度で聞いていて欲しいです。要するに何も考えずにただがむしゃらな『努力』を美化するのはあまり好かない、と言う事です。''生存者バイアス''とまではいきませんが、テレビやネットで持ち上げられている様な『努力』の美談は、それは彼らが世界でも稀に見る『成功者』であるから故です。世の中には''彼ら''意外にも、彼らと同等程度の努力をしてきた人がごまんと存在しています。ですから『彼らに負けない様にがんばれ!』『もっと努力するべきだ!』なんて言葉は、ある意味無神経で無責任な発言にも捉えれます。真意はどうあれ、人が人に何かを伝えるって単純そうで難しい事だと思うから。そんな試行錯誤や挫折や絶望の末に、僕達にとっての成功が見えてくる訳です。暗く長いジメジメとした道を、灯も無しに歩き続けた先にやっと、やっとの思いで光明が指す訳なんです。…まぁここまで言っておいてなんですが、成功や失敗なんて自分次第でどうとでも捉えれますから。他人からの判断よりも、深い部分は自分のみの判断で良いと僕は思っています。何を以って成功とするか、何を以って失敗をするか。この二つをしっかりと意味付け出来た先にこそ、天竺はあるのかもしれません。
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2024年9月17日 19:05 の投稿メンタリティねぇ。本当難しい事だと思う。外面を良くするよりも、内側から組み立てて行く事がどれ程難しいか。僕自身、精神論を信仰している訳ではありませんが、スポーツか武道をやってきたかどうかは大いに関わってくると思います。僕はどちらも経験がありますが、小さい頃から『躾』と『痛み』が日常的に存在するのが当たり前の生活をしていました。まだまだ体罰が常習化されていた時代です。だからと言って、いざ僕が指導をする側に回った時に、同じ事をするかと言われれば中々首を縦には触れません。精神を沸騰させる『様々な種類』の痛みは必要だとは感じていますが、それを強制するつもりはありません。どうやったらそのレベルまで自分で持って行けるか、この過程が重要だと思っているからです。メンタルを鍛えるって、鍛えた結果を望む事ではなく『自然と鍛えている過程』を後から見返して納得して行く物だと思っています。だから、目に見えた結果が中々出ず、続かない事が多いんです。人間って、即効性を重んじますから。目覚ましい結果が目の前に転がっていないと、随分満足を感じ辛い生き物なのです。こんな大層な事を申していますが、僕なんて序の口も序の口。精神力なんて5歳児程度しかありません。まだまだ鍛えなきゃ行けないところが山程残ってる。自分の人生を終える時が楽しみになるくらいに。色々書きましたが、自分だって誰が何で何処で誰が正解かをわからずに毎日を生きています。悩みなんて、物心がついた時から四六時中絶える事がありません。死ぬまで絶える事は無いでしょう。それでも毎日心臓を動かしているんです。辛い事や理不尽な事がいっぱいあるのを知っていて、ご飯を食べているんです。自分と自分の周りの人がそれなりに幸せに過ごせていたら俺は満足しちゃう。全世界の人間を幸福に、なんて宗教じみた事は望みませんが、せめてこの日記を最後まで見てくれている人にはどうか、メンタルヘルスの神様のご加護がありますように。…あ。Twitter凍結しました。ですから、写メ日記を書く事で生存確認が出来るかなと思って。新しいアカウントを作るのか、既存のアカウントが復旧するのかはまた数日してから発表致します。沢山のご心配や問い合わせありがとうございます。凍結されて唯一感じた嬉しかった事は『心配される』とは、なんとも皮肉なものだ…↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@unmomo_amatsu
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2024年9月15日 19:05 の投稿捉え方次第、って話もありますよね。その思考自体がもうポジってるのかな?陰と陽。月と太陽。受けに攻め。人間は何でも比較をしたがる生き物です。日本語は更に細かく、繊細な事までも名前で物事を縛って想像を掻き立て安くさせます。ネガティブとポジティブ。そんな言葉が無かったら、皆がフラットな状態を保てていた世界線もあった事でしょう。知らんけど。また禅問答の真似事の様な、うっすーーーーーーい話はこの辺で置いといて。さて、本題。実際、気分が乗っている時と乗っていない時があるのは事実です。人間の精神的に、どちらか一方が欠けても気が狂って行く一方、と僕は思っています。だからこそ、上手い事使い分けて、自分をなるぜく俯瞰出来る様な鍛錬を日々心がけています。自分をどこまで許せるか、自分をどこまで守れるか。何が大事で何が大事では無いのか、ポジティブな時間とネガティブな時間では考え方が全く逆さまになってしまう事もあります。ですが、まず自分の期限を労わってあげる。ポジティブな思考でも言動は冷静に。ネガティブな思考でも自分を最大限肯定してあげて。人の感情なんて、あらかじめ把握出来る訳ありませんから。ほら、よく言うじゃないですか。『清濁併せ飲んで』と言うやつです。ま、口で言うのは簡単なんですけどね。かと言ってフラットになりすぎたら、今度は人間的な魅力や俗世的な色気が一気に削ぎ落とされて行きます。やはり、人間味や面白みってその人の脳みそと身体が何を経験して来たかを如実に表しますから。いざ実践してみると、そうそう上手くは行かないのが人生です。ほーんと、一足飛びにズル出来ないようによく出来てるわ。良いんです良いんです。ネガティブに耽って、意に反した行動をして後悔する日があっても。ポジティブに乗っかって、さながら斉天大聖の様な面持ちで物事を楽観視しまくっても。全部完璧じゃないからこそ滲み出る良さって、あると思いますよ。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@unmomo_amatsu
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2024年9月13日 19:05 の投稿責任の話ねぇ。他責と言うのはあまりピンと来ないですが、自責の念は人よりつよく持っているかも。そういう風に育ってきたし、何かを背負ってそれでも前に進んで笑ってるおじいちゃん2人の背中を見てきたからなのかも。全ては自分の選択の結果。泣いても笑っても、裏切られても裏切っても、ちゃんと自分の中で落とし前をつける。他人にどうこう言われた所でその意志は変わりようも無いくらい重く鎮座させていた様に甘えます。考え方が凝り固まっている。頑固者。古臭い。色々な言われようかありますが、必ず尊敬はしていました。これは俺の人生なので、同じ道を歩むつもりはありませんがおじいちゃん2人が僕に残してくれたモノはしっかり受け継いで行くつもり。いわゆる『自分のケツは自分でふけ』と言うやつですね。身の丈以上の事を望むなら、人様に頭を下げろと。自分1人じゃ抱えられる限界もあるんだから、それを無理にするなよ、と。そんな風に今は理解しています。確かに僕は性格上(潜在的にも)人に頼る事はあまりしません。全面的に信頼する事がそもそも難しいのです。これは生まれ持っての性質でもある。だからこそ、一度信頼や安心をすればその気持ちはずっと静かに燃えたままなんです。これは過去の自分がしてきた行動を見てもそう。少しくらい自分が損したって、自分が大切にしている相手の為になるなら良いんです。中学の頃までは、ほとんど損得感情で動いていてこんな風に考えている祖父を受け入れる事は出来ませんでした。しかし、2人の葬式を終えた後、残った人々の眼差しを見て考えが180度変わった気がします。間違って居るかも知れない。でも間違っていても、自分が納得するなら良いんです。自分が納得出来て、後ろに下がる事が無ければ僕はそれで良いじゃないかと思っています。ですが、僕だって完璧ではありません。ちゃんと人を見ています。その上で信頼出来る事を積み上げて行きたい。与えられた優しさは、倍返しどころかメロンを付けてお返ししてあげます。それが僕の天性だと思うし。実際、他責にしてしまいたくなる事なんか腐る程あります。全てを抱えるつもりはありませんが、自分で出来る事を広げていけば、些細な事ではブれないようになってくるのかな。ここはまだまだ勉強中なので、お茶を濁しまくっておこう。ついでに茶柱も立てておこう。そんな感じ。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@unmomo_amatsu