写メ日記
マジックアワー
2022年5月9日 18:10 の投稿
こんにちは。
アイトです。
ゴールデンウィークも
終わってしまいましたね〜。
今日から仕事…
という人もいたと思いますが、
スッキリしない天気なので、
気分が乗らない…
なんて人もいたのではないでしょうか?
さて、今日は
先週撮った空…の写真です。
夕暮れ時の写真ですが、
この時刻は「黄昏時」…なんて言いますよね。
「黄昏時」というのは、
だいたい午後5時〜7時までの時間帯です。
もちろん、日の入り(日没)の時間が
季節によって変わりますので、
この時間も変動しますが、この時間帯を
「マジックアワー」と言います。
この「黄昏」は
「誰(た)そ彼(かれ)は」
からきているんですよね。
ガス灯は明治時代に普及しましたので、
それ以前は現代のように電気などない時代。
日が暮れ始めると薄暗くて
一気に人の見分けがつきにくく、
行き違いの人の顔を
見極めることが出来ない状態でした。
どのような身分の人であるか?
男性か?女性か?もわからなかった為、
「誰そ彼」(あなたは誰か)と
行き違う人に聞いていたそうです。
この風習は全国的なもので、
防犯と同じような意味でも
使われていたようです。
「あれは誰」の古い表現が
「誰そ彼(たそかれ)」であったので、
夕暮れをそのまま「たそがれ」と
言うようになったという事です。
この後「黄昏」という漢字が
「誰そ彼」の当て字として
使われるようになって、
「誰そ彼」と昔の人が聞いた時間帯を
「誰そ彼時」、つまり「黄昏時」と
呼ぶようになった…と言う事です。
「黄昏」の語源は、日本で
最も古い和歌集の万葉集の中で詠まれた
「誰そ彼」(たそかれ)」で
あるとされています。
黄昏には2つの意味があります。
1つ目は「夕暮れ」。
2つ目は比喩的な表現で、
「全盛期を過ぎて、終わりに近づく時期」
を意味します。
「盛りを過ぎた時期」という意味に、
太陽が沈んで暗くなっていく様子を
例えて使われるようになりました。
「黄昏」の使い方として、
よく「黄昏る(たそがれる)」と言いますが、
「黄昏る」の意味として
「ぼーっとする」
「物思いに耽る(ふける)」
というような意味で多くの人が使うと思います。
でも実際にはこれ、間違っています。
本来の「黄昏る」の意味は、
「日が沈んで薄暗くなる」
「盛りを過ぎて衰退する」です。
「物思いに耽る」時って、
よく夕焼けを見ながら、
何とは無しに「ぼー」っとしませんか?
この事から
「夕暮れ時にぼーっとする」ことを
「黄昏る」と呼ぶようになったと
考えられています。
ちなみに、
「彼誰時(かわたれどき)」という、
黄昏と同じ発想から出た言葉があり、
「彼は誰ぞ(かわたれぞ)」と言って、
こちらは主に明け方を指します。
「暁(あかつき)」「東雲(しののめ)」
「曙(あけぼの)」などが同じ時間帯です。
少し怖い話しをすると、
「逢魔が時(おおまがとき)」
と言う言葉があるそうです。
「逢魔が時」は、「黄昏」と
同じ時間帯を指しますが、暗闇が迫る中、
魑魅魍魎(ちみもうりょう)に出会う
不吉な時間帯という意味も含む言葉です。
「黄昏」にはそこまでの意味は無いため、
少し禍々しい(まがまがしい)
空気感を表現したい場合に使われるようです。
黄昏時と同じような意味ですが、
「逢魔が時」は、
大きな禍いの起きる時= 大禍時(おおまがとき)
が転じた言葉だと言われています。
魔物に出会いそうな時間、
少し緊張する時間という事で、
大禍時・大魔時・逢あふ魔時などの
仰々しい名前が付いていると思われます。
夜になるにつれて、
人ならざる者が出て来る…
と言う事でしょうか…
街灯もない時代に、
人の顔が見えないくらい段々と
暗闇になっていく状態は
相当怖かったんだと思います。
人だと思っているそれ、
ほんとうに人なのか…?
何はともあれ、「黄昏時」は
変化に富んだ美しい時間帯である事は
間違いないので、多くの人の心を揺さぶり、
印象に残る景色となるんだと思います。
個人的には、
英語のsunset(サンセット=日没)の
イメージの方が、ロマンチックで好きだなぁ…
皆さまは、この
黄昏時=マジックアワーに
どんなイメージを持っていますか?
アイトです。
ゴールデンウィークも
終わってしまいましたね〜。
今日から仕事…
という人もいたと思いますが、
スッキリしない天気なので、
気分が乗らない…
なんて人もいたのではないでしょうか?
さて、今日は
先週撮った空…の写真です。
夕暮れ時の写真ですが、
この時刻は「黄昏時」…なんて言いますよね。
「黄昏時」というのは、
だいたい午後5時〜7時までの時間帯です。
もちろん、日の入り(日没)の時間が
季節によって変わりますので、
この時間も変動しますが、この時間帯を
「マジックアワー」と言います。
この「黄昏」は
「誰(た)そ彼(かれ)は」
からきているんですよね。
ガス灯は明治時代に普及しましたので、
それ以前は現代のように電気などない時代。
日が暮れ始めると薄暗くて
一気に人の見分けがつきにくく、
行き違いの人の顔を
見極めることが出来ない状態でした。
どのような身分の人であるか?
男性か?女性か?もわからなかった為、
「誰そ彼」(あなたは誰か)と
行き違う人に聞いていたそうです。
この風習は全国的なもので、
防犯と同じような意味でも
使われていたようです。
「あれは誰」の古い表現が
「誰そ彼(たそかれ)」であったので、
夕暮れをそのまま「たそがれ」と
言うようになったという事です。
この後「黄昏」という漢字が
「誰そ彼」の当て字として
使われるようになって、
「誰そ彼」と昔の人が聞いた時間帯を
「誰そ彼時」、つまり「黄昏時」と
呼ぶようになった…と言う事です。
「黄昏」の語源は、日本で
最も古い和歌集の万葉集の中で詠まれた
「誰そ彼」(たそかれ)」で
あるとされています。
黄昏には2つの意味があります。
1つ目は「夕暮れ」。
2つ目は比喩的な表現で、
「全盛期を過ぎて、終わりに近づく時期」
を意味します。
「盛りを過ぎた時期」という意味に、
太陽が沈んで暗くなっていく様子を
例えて使われるようになりました。
「黄昏」の使い方として、
よく「黄昏る(たそがれる)」と言いますが、
「黄昏る」の意味として
「ぼーっとする」
「物思いに耽る(ふける)」
というような意味で多くの人が使うと思います。
でも実際にはこれ、間違っています。
本来の「黄昏る」の意味は、
「日が沈んで薄暗くなる」
「盛りを過ぎて衰退する」です。
「物思いに耽る」時って、
よく夕焼けを見ながら、
何とは無しに「ぼー」っとしませんか?
この事から
「夕暮れ時にぼーっとする」ことを
「黄昏る」と呼ぶようになったと
考えられています。
ちなみに、
「彼誰時(かわたれどき)」という、
黄昏と同じ発想から出た言葉があり、
「彼は誰ぞ(かわたれぞ)」と言って、
こちらは主に明け方を指します。
「暁(あかつき)」「東雲(しののめ)」
「曙(あけぼの)」などが同じ時間帯です。
少し怖い話しをすると、
「逢魔が時(おおまがとき)」
と言う言葉があるそうです。
「逢魔が時」は、「黄昏」と
同じ時間帯を指しますが、暗闇が迫る中、
魑魅魍魎(ちみもうりょう)に出会う
不吉な時間帯という意味も含む言葉です。
「黄昏」にはそこまでの意味は無いため、
少し禍々しい(まがまがしい)
空気感を表現したい場合に使われるようです。
黄昏時と同じような意味ですが、
「逢魔が時」は、
大きな禍いの起きる時= 大禍時(おおまがとき)
が転じた言葉だと言われています。
魔物に出会いそうな時間、
少し緊張する時間という事で、
大禍時・大魔時・逢あふ魔時などの
仰々しい名前が付いていると思われます。
夜になるにつれて、
人ならざる者が出て来る…
と言う事でしょうか…
街灯もない時代に、
人の顔が見えないくらい段々と
暗闇になっていく状態は
相当怖かったんだと思います。
人だと思っているそれ、
ほんとうに人なのか…?
何はともあれ、「黄昏時」は
変化に富んだ美しい時間帯である事は
間違いないので、多くの人の心を揺さぶり、
印象に残る景色となるんだと思います。
個人的には、
英語のsunset(サンセット=日没)の
イメージの方が、ロマンチックで好きだなぁ…
皆さまは、この
黄昏時=マジックアワーに
どんなイメージを持っていますか?