写メ日記
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2024年4月11日 19:05 の投稿
最近は新宿や渋谷を歩くことが多いのですが、ちょっとした時間を潰したいとき、僕は喫茶店に行きます。
スタバやドトールなどチェーン店に行くのはなんだかつまらないので、あえて古そうな喫茶店に行くことにしています。
非常に入りづらい店ばかりを選んでしまいます。
大都会・新宿には、ビルとビルの隙間にちっちゃな喫茶店がたくさんあります。
雑居ビルの中にあったり、看板が出ていなかったり、全然分煙がされていなかったり、、、(もちろん支払いは現金のみ)
なんというか、現代のシステム化がまだ及んでいない未開の地に足を踏み入れたような、不思議な興奮を覚えるのです。
ちなみにいま僕は、創業昭和三十三年(1958年)のレトロな(という陳腐な言葉で片付けてしまうのが勿体無いほどの)喫茶店で写メ日記を書いています。新宿です。
僕は煙草は吸いませんが、店内は甘い煙の匂いで満たされています。でも心地よいのは何故なのでしょうか。
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2024年4月11日 18:05 の投稿
中学生の頃、友達数人と悪さをしたことがあった。
たしかあのときは、雪の日にでっかい雪だるまを作って、それを教室まで持って行ったんだったかな?
案の定、先生の逆鱗に触れ、僕たちは放課後に体育倉庫の掃除をさせられることになった。
でも僕は、なんか「掃除をやらされている」みたいでそれが嫌だった。
だから、友達みんなと目標を作ったんだ。
「ばっっっっか綺麗にしてやろうぜ」ってね。
そして僕たちは無我夢中で掃除をした。掃除を楽しんでいた。互いに肩車をして高窓を拭いたり、ボール掃除も水拭きと乾拭きとで役割分担してエッサホイサと仕事を進めた。
挙げ句の果てに、先生が戻ってきて「もういいぞー」と言っても、僕たちは掃除をやめなかった。「先生が綺麗にしろって言ったんでしょ!」とか意地悪を言いながら、僕たちは日が沈むまで掃除を楽しんだ。
最後、ピカピカになった体育倉庫を、泥だらけになった僕たちは誇らしげに思った。とても清々しい青春の1ページである。
何事も楽しまなきゃ勿体無い!!
誰かが楽しみ始めれば、周りの人も自然と楽しい気持ちになってくる!
掃除も、遊びも、全力なんだ。
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2024年4月10日 22:05 の投稿
懸垂をしよう。広背筋に感覚を集める。肩を下げて、肩甲骨に筋肉を収めるイメージで胸を張る。広背筋を収縮させるように身体を引き上げる。
とにかく効かせたい筋肉に感覚を集中!!
自分の身体と向き合う時間は貴重。改めて感覚を研ぎ澄ませてみると、新しく気づくことがある。
どこまでが背中で、どこからがお尻なのか。ということだったり。
どこまでが筋肉でどこからが骨なのか。ということだったり。
意外と曖昧な自分の身体。自分で自分の身体をペタペタと触ってみるのもいいかもしれない。
案外、腕が長いことに気がついたり、こんなところに凹凸があったっけ?と気付くこともある。知らないうちに怪我したのだろうか?謎のあざが見つかったりもする。
そして、エロにおいても身体の感覚に集中することは大切。
触られている部分に神経を集めるイメージ。ただ触られるのと、触られていることを意識しながら触られるのとでは、気持ちよさが違うはず。
僕たちは丁寧にお身体を触らせていただきます。丁寧に全身を触られると、自分の身体を見つめ直すことができるかと思います。
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2024年4月10日 15:05 の投稿
大学1年生から3年生の途中まで、ずっと個別指導の塾講師のアルバイトをしていました。
高校生に対しては、英語と日本史を。中学生には、国語と英語と社会を教えていました。
1番印象に残っているのは、僕が日本史を教えていた高校3年生の圧倒的ギャルです。
彼女は、偏差値が低めの高校に通っていたのですが、「キャリアウーマンになりたい!」という夢があり、周りの友達に流されずに勉強を頑張っていました。見た目の派手さとは裏腹に真面目な生徒さんでした。
ある日、「ウチ、受験ガチりたいから彼氏と別れるわ〜」と言っていて、本当か?と怪しんでいたのですが、次の週には、「別れたわ〜、彼氏に泣かれてマヂだるい」と飄々としていました。
僕の生徒の中で、一番素直で真面目な生徒だったので、僕もなるべく分かりやすく楽しく教えようと頑張りました。
授業方針としては、「シャドーティーチング」に重きを置いていました。勉強したことを、今度は自分が先生になって誰かに教えとくように説明する訓練です。自分の頭で理解できない状態で無理に暗記してもちゃんと覚えられないタイプだったので、理解したことを説明させて落とし込ませることが目的でした。
彼女に1年間日本史を教えたのですが、最終的に彼女は青学に受かりました。すごいですよね。シンプルに嬉しかったです。
あんなに受験頑張ったんだから、きっと今頃はもっと素敵な彼氏がいるはずです!
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2024年4月9日 21:05 の投稿
目の前にあるコーヒー。
カップに注がれたアメリカンコーヒー。
もしも、これが空洞だったら?
芳醇な香りのするコーヒーは表面だけにしか存在しなくて、カップの中身は空洞かもしれない。
小石。消化器。電柱。アイスクリーム。消しゴム。500円玉。自販機。道路に出ているスナックの看板。ビル。時計。
全部中身は空っぽかもしれない!!
想像してみると、ちょっぴり恐ろしい気分になる。
全てのものには「中身」があると勝手に思い込んでいたから、これまでなんだか納得できていた。
けれど、目の前のものは、実はすべてが空っぽだったのだ!
僕自身もまた、、、、、、