写メ日記
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2024年12月22日 09:05 の投稿
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ
金子みすゞ
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2024年12月13日 21:05 の投稿
生きているうちに会ってやれよ
どんなに権威のある小説の賞をとろうが
どんなに世間から評価の高い映画をつくろうとも
どんなに演技が抜群で賞を総なめにしようとも
美人だ、可愛い、スタイルがいいと褒められても
この世でいちばん会いたい人に
会えないというのは不幸なことだ
それなら平凡でいい
家族を大切にする人になりたい
優しいピンクや清らかな白
明るい黄色の花々
深紅のダリア
情熱的で華やかな色鮮やかな花々
そんなものは慰めにもならない
生きているうちに会ってやれよ
死んでから会いに来てもしかたないじゃないか
孝行したい時、親はなし
母親に、ほとんど毎日会っている
口のきけない
食べることもできず
笑うこともできない
それでも、
お母さん、好きだよ、
生きていてね、と言ったら
車いすから身を乗り出そうとする
母親は単純で悲しい
息子から愛していると言われるだけで
生きようと思える
生きようとする
誤嚥性肺炎から
母は息を吹き返した
それは本当に奇跡だった
好きだよ
生きなきゃだめだよ
その一言が
植物状態の母を蘇らせた
わけのわからない生命の力を
吹き込んだのだ
日本では、母親を大切にする男はマザコンとして
女から嫌われる。
だが、タイでは自分の母親を大切にする男は尊敬される
自分の母親を愛する男は
私の母親も愛することができる
そう思われているから
タイの女に、どんな男が好きかと聞けば
家族を、母親を大切にする人と答える
愛が失せれば別れゆく
親権を譲ることが離婚を承諾してもらう条件なんて
卑劣でしかない
生きているうちに会ってやれよ
会いに来るのだったら
会いに来れたなら
もっと早く会ってやれよ
死んでから会いに来てもしかたないじゃないか
死んでから優しくしても
死んでから泣いても
生きているうちに
子供に会いたいけれど、もう会えないんだ……
私にとって今一番大事なのは子ども。だから日常こそ大切にしたい。
中山美穂さんはもう、いない
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2024年12月4日 09:05 の投稿
母の歯を磨く
「口を開けて。もっと大きく開けて」
私は母の口を開け、歯間ブラシで歯の汚れを取り除く。
母はおとなしくじっとしている。私を歯医者の先生と思っているらしい。
「よく磨けています。きれいです」と私が褒めると、母は少し笑う。
認知症の母は、自分で歯を磨くことができない。
介護施設の職員に頼んでも「人が足りない」と言われ、母の歯は磨いてくれない。
「月に一度、歯の先生が来て、歯の掃除をしてもらっているから(職員が歯の清掃をしなくてもよい)」と施設側は答える。
だが、母の歯茎は赤く腫れ、出血しやすくなっている。強烈な口臭もあり、母は自分でもどうすることもできない。
認知症になる前、母は丁寧に歯を磨いていた。
だが、今はそれができない。私は仕事を辞め、フリーのカメラマンやライターをしながら、ほとんど毎日、母の歯を掃除している。
ある日、母が施設を追い出された。理由は、母がドアをたたき、職員が泣き出したからだ。
施設側と精神科医は「お薬を飲まれないので入院させましょう」とも言ってきた。
私は施設長やケアマネージャーの前で母に薬を飲ませることができているのに。
世話のかかる母親を追い出しにかかっていることは明らかだった。
私は抵抗したが、大きな権力に逆らうことはできなかった。
もともとは在宅で母の世話をしていた。
だが、母は自宅で転倒し、大けがをした。母の安全を考えて施設に入れるしかなかった。
施設側の対応が悪いのではないか、と言ったが、「それであれば、お母さまをお連れに帰ってください」と言われた。
すなわち、施設から出て行ってもらいたい、ということだ。
母を自宅に戻せば、すぐに大けがして、首の骨を折るなどの致命傷を負うだろう。
母親を連れて家に帰れ。施設から出て行け。
それは、すなわち、母の死を意味していた。
今のこの日本は、本当に施設を必要としている認知症患者や、知的障がい者を受け入れる施設がない。
施設を追い出された母は、この世界にどこにも行く場所はない。
母は精神病院に強制的に入院させられた。
久しぶりに会った母は、以前の母ではなかった。
笑顔で話していた母が、しゃべれなくなり、食べることもできなくなっていた。
たった一ヵ月で、母は別人のようになっていた。
母はすっかりやせ細り、車いすに乗ったまま完全に歩けなくなっていた。
母は一切の自由を失い、私と面会できる機会も失い、生きがいを失い、自分の心をわかってくれる人が誰もいなくて、自分はもう見捨てられたのだという絶望と孤独感が母を追いつめた。
病院では、母が食事を残すとすぐに流動食に変えられた。
私は母に声をかけて食事をさせることができるが、病院はそんなことをしてくれない。
母は精神的に落ち込み、食欲を失っているだけなのに、病院側は固形物が食べられないと判断し、流動食に変える。
それは制裁のようないじめだった。
母が抵抗すれば、重たい鎧のようなプロテクトを着せられ、自由を奪われる。
うつむくことが多い母は、プロテクトの襟で首をしめつけられ、深い傷ができていた。
母は窒息死するかもしれない。
それを指摘しても、病院の看護師は「知りません」と答えるだけだった。
公的機関に母が虐待されている写真見せて、すぐに改善してもらうようにと言ってくれたので、それを病院側に告げた。
後に病院の相談員から、「こういったことが今後も続くと、主治医に報告しなくてはならず、その結果、退院してくださいという判断になってしまう」というメールが送られてきた。
母の首の傷は、二カ月が過ぎた現在も消えていない。
治療もしてもらっていない。薬さえつけてもらっていない。病院にいるのに。
それを口にすれば、「出て行ってくれ」と言われる。
母は、この世界のどこにも行く場所はなかった。
母はもう食べられない。大好きな寿司も、柿フライも、アップルパイも。母はもうしゃべれない。
大好きだった津軽海峡冬景色の歌も、歌うことができない。
いつも目やにがいっぱいで、唇は乾ききり、唇の端が切れて血がにじんでいる。
母は、精神病院に入れられ、人間らしい生活を送ることができなくなった。
施設がもっと親切に対応してくれたなら、家族のように母に愛情をそそいでくれたなら、母はこんなふうにはならなかった。
今は、わずか十分間だけだが、母に会うことができる。
その十分間の面会のために、私はバイクで往復三時間かけて、ほとんど毎日、母に会いに行く。
母はもう食べられない。それでも、私は言う。
「よく噛んで、飲みこんでね」
母の目は動かないが、しっかりと私の目を見つめている。
私が言っていることをわかっている。
母の口は、吐き気がこみあげてくるほど強烈に臭い。
ちゃんとケアしてもらっていない。
私は、母の歯を磨いてあげる。
「口を開けて。もっと大きく開けて」
私は母の口を開け、歯間ブラシで歯の汚れを取り除く。
母はおとなしくじっとしている。
「よく磨けています。きれいです」と私が褒めると、大きく見開かれた母の目から、大きな涙がツツっ―――と頬を流れ落ちた。
私は言葉を失った。認知症で、脳のほとんどが水になっている母は、ちゃんと覚えている。私が毎日、母の歯のケアをしていたことを。
母は、忘れていなかった。
私が母の歯を磨き、おいしいものがいつまでも食べられるようにと、いつも歯のケアをしていたことを。
噛んで飲みこむ。何の自覚もなく、あたりまえのようにしていることがどれだけ大切で、どれだけ幸福なことか。
青空を流れる雲。鳥の鳴き声。川のせせらぎ。
うっすらと明るくなり始めた夜明けの空を映し出している窓。
影絵のように眠っている街を優しく照らし出す白い起伏。
そんな何気ない一つひとつのことが。
「生きるだよ。お母さんは生きるんだ」
面会で母に会う度に、私はそう呼びかける。
母はもう笑顔を見せることも、話すこともできないが、私の顔をじっと見つめている。
母の黒い瞳に、私の顔が映っている。
噛む喜び、食べる喜び。噛む幸せ、食べる幸せ。
そんなあたりまえのことが、どれほど大切で、どれほどの喜びと幸福があるのか。
その喜びと幸せを、もう一度、母に。
その奇跡が来ることを信じて、私は今日も、母の歯を磨く。
今日も、母の歯を磨く。
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2024年12月1日 11:05 の投稿
この国では、子どもの自殺や女性の自殺は大きく取り上げる。
YouTubeの広告でも、「〇〇ちゃん、食べられるのは給食だけ」と、子どもの貧困についての宣伝を何度も繰り返し見させられる。
だが、どこにも行き場も身寄りもなく、死んでゆくおじさんや、おじいさんのことを取り上げる人はほとんどいない。
メディアが書かなければ、この国の人たちは関心を持たない。
そんなふうに世論操作されている。
おじさんや、おじいさんは可愛くないから。汚いから。
大阪府市の職員らが、「あいりん総合センター」のまわりをバリケードで描こう準備を始めた。大阪府警の機動隊員も出動し、警戒にあたった。
「あいりん総合センター」の跡地で野宿をしている高齢の男性は「ほかに行くところがない。これからどうしたらいいんや。わしらは死ねということなんか」と話す。
学生のころ、文学学校に通っていた。そこで、西成区で日雇い労働をしているという四十代の男性と知りあった。
ひげ面の強面(こわおもて)。いかにも肉体労働者という風体と体格。華奢な私とは不釣り合いで、話もできないと思っていた。同じクラスの男性だった。
ところが、この男性と大の仲良しとなった。
私が小説で描く女性像と、女性観が、その男性の心を揺り動かしたのだ。
私は、その男性に誘われて、釜ヶ崎を一緒に歩いた。
一杯飲み屋などをはしごして仲良くなった。
その男性は、医学部の出身。身体をこわして誰からも見捨てられ、釜ヶ崎にたどり着いた。
人それぞれ、いろんな事情で、この釜ヶ崎にたどり着いたことを知った。
その後、私は東京で暮らし、有名なAV女優や風俗嬢ともつきあったが、人はそれぞれいろんな事情があり、いろんな生き方があることを知った。
この女性風俗(女風)にしても、いろんな女性がいろんな悩みや苦しみや淋しさを抱えて訪れる。私はただ、出会えたことに感謝している。
強制的に追い出される野宿の高齢男性。
それは私、それはあなたの姿なのかもしれない。
私はただ、祈りをこめて書くしかない。
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2024年11月29日 09:05 の投稿
「………ようやく静かになったね。
さあ、僕たちは行こう。
もっと遠い彼方へ。
……誰にも圧迫されることのない、
ほんとうに自由な世界へ
新しい宇宙へ……」