写メ日記
-
2024年11月18日 02:05 の投稿
カタヌキヤのパンダバウム!綺麗に抜けました~。味的には普通。でもバウムクーヘンは美味しい食べ物なので、普通という事はつまり美味しいという事です。他のバウムと比較して特別すごく美味しい!という事はありませんが、バウムとはそういうものなので問題ないでしょう。
何故バウムクーヘンでパンダで型抜きなのか…。全く何にも掛かってないっぽくて謎ですが。
「映え」が重要視される現代。ちょっとしたアイディアやアピールの仕方で売れてしまったりします。質の高いものが、それに相応しい評価を受けるとは限りません。内容が良くても、存在している事を周知すらされていなければどうにもならないのです。これを理不尽と捉えることも出来るし、チャンスと解釈することも可能でしょう。
僕はどちらかというと、能力の高さで真正面から勝負できるタイプではなく、搦め手を含めたアイディアで勝負するタイプ。でも正確に言うと、アイディアを思いつくも勝負できないタイプ…。これはけっこうコンプレックス。
皆が同じ事をしていると萎えるし自分は違う事をしたくなる。でも奇抜な事をして目立ちたいわけじゃないし、むしろ目立つのは好きじゃない。頭の中で色々なアイディアが思いつくも実行に移すことができないのが、我ながら面倒くさいし損してるなぁって思う!
-
2024年11月16日 02:05 の投稿
サンマルクカフェの期間限定メニュー「ストロベリー&ピスタチオアイスのX'masケーキパフェ」緑×赤の鮮やかな色彩が、一足早くクリスマスの気分を盛り上げる。ピスタチオは香ばしくてまろやかで、ストロベリーの酸味を際立たせる。スポンジ生地も相まってパフェありながら、まるでショートケーキのような食べ心地。
それにしてもピスタチオはいつの間に定着したのだ?今となってはピスタチオを使ったスイーツ系のメニューも珍しくないが、少し前まではお酒を飲みながらちょっと摘まむものという印象だった。しれ~っと当たり前のような顔をしてスイーツ業界に居座っているけれど、僕はまだヤツのことは認めていないよ!
あとアボカドもね。アボカドの存在を初めて知ったのはカリフォルニアロールだったと思う。当初は正直あまり印象は良くなかった。コイツも知らぬうちに、エビのベストパートナーですみたいな顔して幅を利かせてやがる。
気が付いたら定着しているものって、よく考えるとなんかちょっと怖いよね。僕は未だにアディショナルタイムじゃなくてロスタイムって言っちゃう。野球のカウントも、僕の記憶ではストライク・ボール・アウトの順番で言ってた気がするけど、いつからかボール・ストライク・アウトの順番になってる。
プレステソフトも日本では〇ボタンが決定で×がキャンセルだけど、アメリカでは逆らしい。たぶんこれも知らぬ間に×が決定で〇がキャンセルになってそう。
さて。僕はこのお仕事を始めて、11月で4クール目に突入しています。当HPの年代別キャスト一覧は入店順に並んでるんだけど、30'sセラピストページの中ではだいぶ中段の位置まで下がってきました。いつまで続けられるか…って気持ちで始めたけど、なんだかんだでいつの間にか定着しちゃっててちょっと怖いですね。
-
2024年11月13日 02:05 の投稿
『セーヌ川の水面の下に』はNetflix制作のフランス産サメ映画である。舞台はパリ。環境汚染の影響で巨大化したサメがオリンピックを目前に控えたセーヌ川に迷い込む。海洋学者はサメの危険性を主張するも、オリンピックによる経済的利益を優先する市長は事態の公表を拒否。主人公たちは秘密裏の対応を迫られる…。
近年のサメ映画界隈は「サメをお題にした大喜利」と化していたが、その中では極めてマジメ路線で、ネタ的な楽しみ方以外でも視聴に耐えうる良作。とは言ってもサメ映画ではあるので、細かい部分のツッコミ所は見て見ぬフリをするのが大人のマナーだ。
過去のトラウマを乗り越えようとする主人公。同じく後ろ暗い過去を持つ警官との出会いと成長。事態を悪化させるバカ環境活動家。市の利益しか考えられないアホ市長。忠告を聞かない軍。
サメ映画として抑える部分は抑えつつもオリンピックイヤーに便乗する強かさと手堅さがあり、なおかつ他のサメ映画と差別化する要素もふんだんに盛り込まれている。サメ映画初心者にも上級者でもそこそこ楽しめることだろう。
ひとつ気になったのは、サメ映画といえば「水中=圧倒的不利」という構図による緊張と緩和が重要である。水上にいれば比較的安心だし、水中に入れば極めて危険だ。だからこそいかにして登場人物を水中に叩き落とすか。あるいは水中に潜らざるを得ない状況を作るのがシナリオの要だ。
だがこの映画では序盤からずっと、サメのいる水中に潜ることへの危機感がまるでない。一応、サメは人間側から何かしない限り理由もなく襲ってくることはないと作中で説明されているが、それにしたって緊張感が無さすぎる点は少し残念。
気取ったタイトルつけやがってこれだからフランス映画は!って思っていたが、このタイトルで正解。サメ映画ではあまり見かけないタイプの結末も良かった。
↓はサメ…ではなく、マグロとのツーショット。靴の高さ、髪の毛のボリューム、カメラの角度的に、この写真だと180後半くらいありそうに見えますが、実際にはそんなにありません。最近測ってないけどプロフの表記通り178cmはあると思う。
-
2024年11月11日 01:05 の投稿
最近見た映画でお気に入りなのは韓国の「犯罪都市」シリーズ。韓国を舞台にしたクライムアクション映画で、実在の事件に着想を得て制作されているらしい。が、そんなことはどうでもよい。主演のマ・ドンソクが悪い奴をぶん殴ってハイおしまい!って感じの映画。こういうの大好物です。
近年ではシュッとしたマッチョが持て囃されており、セガール系ムチムチマッチョ劇強オジサン俳優が不足している。熊のような体格のドンソク兄さんの活躍はとても喜ばしい。エクスペンダブルズとか出て欲しい。あと吹替声優が小山力也なのも最高。
ところで韓国のアクション映画ではナイフの代わりに手斧がよく使われているような気がする。何か文化的な意味はあるのだろうか?
韓国手斧事情について詳しい人いたらDMしてくださいね。【東京/千葉萬天堂】あきら のXアカウント
-
2024年11月9日 23:05 の投稿
よく「キムタクは何を演じてもキムタクにしか見えない」という意見を聞く。故に演技が下手である、と概ねネガティブな意味合いで言われているようだ。
僕は木村拓哉さん以外も全員、その人にしか見えない。役所広司さんは役所広司さんだし。香川照之さんは香川照之さんだし。堺雅人さんは堺雅人さんだ。山﨑賢人さんは天下の大将軍を目指す中華の少年には見えないし、北海道の金塊を探す不死身の元軍人にも見えない。山﨑賢人さんは山﨑賢人さん以外の何者にも見えない。女優さんも然り。
僕には役者本人以外の誰かに見えるという感覚が分からない。「役者」という職業に対して、あるいは「演技」という行為に対して、理解が絶望的に足りていない。「演技が上手いか下手か」の評価が出来ないというより、そもそも「演技が上手いか下手か」という価値観が無く、そういう見方が出来ない。もちろん言わずもがな、これは俳優さん達の演技力の問題ではなく僕の感性の問題である。子供の頃からそうなのだ。
東京03のコントは面白いと思う。でも彼らのコントを見た人達は、二言目には「演技力があって」と評価する。それを言われた途端に僕は疎外感を覚えて、気持ちがスン…ってなってしまう。
ではなぜ洋画は観れるのか。もはや役者の存在そのものがキャラクターのようなものと認識しているからだと思う。ブラッド・ピットは役を演じなくても、もはやブラピというキャラであり、ほぼフィクションに近い存在のように感じる。
邦画にも面白い作品はたくさんあるはずなので、抵抗なく観れるようになりたいのだが…。この感性は後天的に調整することは可能なのだろうか!?
「生まれて初めてリンゴを見た人」を演じている僕以外の何者でもない僕。そしてヨーグルチョコ味のリンゴ飴。