写メ日記
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2024年3月25日 23:05 の投稿
「探究心」さえあれば、お仕事って楽しくなるはずです。
どんなに些細なことでも、
「こうすれば次はもっと良くなるかな」
「この順番でやればスピードが上がりそう」
「チームメンバーは今何を考えているのかな」
「上司は何を求めているのかな」
探求すること、思索することに面白さを見い出せたら仕事は楽しくなります!
僕は女風のお仕事を惰性でやっている訳ではありません。いつも通りの会話をして、いつもど〜りの性感をして、まるで流れ作業のような、、、病院の問診のような、、、こんなセラピストだったらガン萎えしちゃいますよね。
アンモモに入店して、アンモモ代表である潤さんの講習を受けて、セラピストのお仕事は、本当に奥が深くて面白いお仕事なんだなと思いました。エロは深くて多様で、もっといろんな意味で楽しいことなんだと知りました。
また、(僕はまだ体感したことはないけれど)女風のお仕事はエロだけじゃない、女性の価値観や考え方にまでも影響を与えられるすごい仕事なんだと教えてもらいました。
女性との接し方は、日々探求です!
エロも日々探求です!
些細な会話でも、これを言ったら喜ぶかな?この言い方は失礼かな?もっとこういう会話をすれば面白くなるかな?と思索を巡らせています。
例えば、どうでもよさそうな細かいことでも考えたりしています。
「どうしてえいと君はピアスを開けていないの?」と聞かれた時の面白い回答を考えています。まあ、思いつかないんですけどね。
あ、そういえば僕、大喜利のセンス皆無だったや。やれやれ。
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2024年3月24日 23:05 の投稿
僕はこれまで狭い世界で生きてきました。
何不自由なく僕を育ててくれた優しい両親。友達にもずっと恵まれてきて、人並みに恋愛もしてきた。部活と勉強。大学とバイト。それから就職。普通の暮らしを普通にさせてもらってきました。幸せなことです。
でも、大人になってからよく感じるのは、もしかして僕が生きてきた世界は恐ろしく狭いんじゃないか?ってこと。
自分が持っている道徳規範なんてものは、いざという時には、きっとちっぽけで何の役にも立たないものなんだろう。
もちろん、道徳や規範、秩序、風紀、正義、正論。そういったものは確かに大切かもしれない。
でもそういうものは、同時に誰かを排除してしまう。正論で人は救えない。みたいなことをどこかの誰かが言っていたような。言ってなかったような。
正義や正論を振り翳したところで、誰が得するのか。ただ、振り翳した本人が気持ちよくなるだけです。正論オナニーです。正論マスターベーションです。
世の中には、きっと僕なんかが想像できないようなことが溢れかえっているはずなんです。想像できないような痛みや哀しみ、それから喜びも。
だからこそ、女風のお仕事で誰かのお話を聞くときは、絶対に相手を安易に否定なんかしちゃいけないと思っています。
人には人の事情があるし、人には人の地獄があります。きっとそういうものです。
僕は、あなたとモラルを介さずにフラットに会話がしたい。話すことで、それだけで気持ちは意外なほどに楽になったりするからです。
なんて言えば伝わるかな。
どんな話でも打ち明けられるような、、、そう、土砂降りの日に雨宿りできるバス停のような、、、(?)
、、、とにかく。そういう存在になりたいってことです。
最近はそんなことをついつい考えてしまうのです。
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2024年3月24日 14:05 の投稿
一時期、お婆ちゃんの昔話を聞くのが病的に好きでした。
ここでは親しみを込めて「祖母」ではなく「お婆ちゃん」と言いましょう。
僕の実家は父方のお婆ちゃんと一緒に暮らしていました。僕のお婆ちゃんはタラの芽の天ぷらを作るのがとても上手です。
そんなお婆ちゃんは、よく昔の話をしてくれました。学生時代に流行っていた遊び、僕が子どもの頃のエピソード、戦後の日本の話。などなど。
でも僕が一番記憶に残っているのは、8年前に亡くなった僕のお爺ちゃんとの出会いについてです。つまり、おじじとおばばの馴れ初めの話ですね。
よく2人で喫茶店に行ってたんだ〜とか、どこどこで待ち合わせすることが多かったんだ〜とか、お爺ちゃんも昔はカッコよかったのよ、フサフサで〜とか。
それである時、2人の思い出の曲を教えてくれたんです。2人がひとつの部屋で一緒に聴いていた曲。
フランク永井『有楽町で逢いましょう』
「もう最近はもう全然聴かなくなっちゃったわ、、、」とお婆ちゃんは言うので、僕は善意のつもりでスマホのApple Musicからその曲を流してあげました。
僕とお婆ちゃんしか居ない静かな部屋に、哀愁感漂う官能的なイントロが流れ出しました。
そのとき、お婆ちゃんはとても切なそうな顔をしました。
「ごめんね、、、やっぱり今日はやめておこうかしら」
僕はすぐに音楽を止めました。
きっと、お爺ちゃんに逢いたくなって、寂しくなっちゃったのかな
その後、僕は一人で自分の部屋に戻って、『有楽町で逢いましょう』を聴きました。
熱い熱い恋の唄でした。この唄が無かったら、僕はきっと産まれてこなかったのかも。と思えるほどの。
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2024年3月23日 19:05 の投稿
見返りは求めちゃいけないけど、期待するくらいはいいよね、、、
変な話だけど、車に轢かれそうな猫を助けたとします。
その猫に対して、「家の庭に無数の猫じゃらしを生やしてくれ」と見返りを求めるのはお門違いというものです。
でも、救ったその猫が、なんかの奇跡が重なって、不思議な猫の国に招待してくれるんじゃないかなと期待するくらいなら別にいいでしょう。
期待するだけなら猫に迷惑はかけてませんからね!
でも、猫の胸ぐらを掴んで、おい!救ってやった見返りとして猫じゃらし寄越せ!というのは大迷惑です。
そういうことです。
だから僕はいつもこっそり期待しています。
駅の階段でお婆ちゃんの大きなキャリーケースを持ってあげたときも、
実はこのお婆ちゃんはすごいお金持ちの人で、親切にしてくれたお礼として、キャリーケースから札束がたくさん出てきて、100万円くらいお小遣いくれたら嬉しいな〜、なんてアホな妄想を繰り広げる。それくらい、別に許してくれたっていいじゃない!ねえ?
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2024年3月23日 15:05 の投稿
こんにちは!山田えいとです。
「依存」がテーマということですが、僕は女性に深く依存してしまい、身を滅ぼしそうになった経験はありません、、、残念ながら、、、
でも、そういう恋愛も破滅的で素敵だなとは思います!
きっとそういう恋をしているときは、振り回されていることでさえも悦びに感じてしまうのかもしれませんよね。
女性に依存したことはありませんが、一時期、狂ったようにチョコレートを食べ続けていた時期がありました。高校生の頃です。
あれは無意識的にチョコ依存症だったのかもしれません。
無心でひたすらチョコを食べ続けていたのです。家中のチョコと名のつくものは全て僕が食べ尽くしてしまいました。
妹と母親にこっぴどくしかられても、それでも僕は食べ続けました。真顔でチョコを食べ続けるその様子は、はたからみたら結構恐ろしいものだったのでしょう。
母親に、「あんたこのままだと糖尿病になるわよ!」と叱られて、チョコ依存から抜け出すことができました。
最近では、自分でお菓子を買わないので、そもそもチョコもあんまり食べなくなりました。
今の僕は健康です!きっとね!!!