写メ日記
-
2024年7月15日 20:05 の投稿何か一つのものを突き詰める。一生涯、同じ仕事をやり続ける。僕は元来そういうタイプの人間だと思っていた。しかし結論から言うと、僕は幾度も方向転換をしており、一つのものを突き詰めてきたという感覚はない。大学も一度中退しているし、仕事も何度か転職をしている。あれだけ強い思い入れを抱いていた寿司職人も、3年ちょっとで辞めている。ただ僕の場合、それは単純に辛くて辞める、という問題ではなかった。自分の属している世界を超える何かがそこにはある、と感じたときに、次のステップを踏む決断をしてきた。大学を変える決断をしたときも、寿司屋に就職することを決めたときも、寿司屋を辞めて和食の世界に飛び込むと決めたときも、料理の世界に一区切りつけてバーの店長になると決めたときも、そこには必ず自分の中に、次の世界での「新たな経験」をイメージしていたように思う。様々な世界に属し、様々な経験を積んだことによって、今の自分が形成されている。一つの世界を深堀し続けてもいいし、深堀した結果違う世界を見出し、その世界を新たに深堀するのも間違いではない。一定期間その世界に属し、物事に従事することで、自分がそこから何かを得ることが大事だ。僕の今後の使命は、その一つ一つの経験をどうつなげるか。スティーブ・ジョブズの言葉を借りれば、Connecting the dots.である。
-
2024年7月12日 21:05 の投稿僕が留学をしていたころ、「mixi」という、今でいうSNS的なものが世間で流行っていた記憶があるのだが、僕も留学中それを利用していた一人だった。なかなか腹を割って話す友達も周りにいない中、mixi上では日本にいる友達とも気軽につながることができ、日記機能があったため、自分の発信もすることができた。時を経て今、僕はこうやって日記を書いている。当時との違いは、「誰に発信しているか」が違うということだ。当時はその日記を見てくれているであろう自分の知り合いや友人に向けて。今はこの日記を見てくれるであろう、おそらくまだ会ったことのないたくさんの方に向けて。当時はある意味で、自分が発信することで人とつながっている、という安心感が欲しかったのかもしれない。今は新たな人との出会いに向けての自己発信である。自己アピールというとちょっと変に感じるが、読む人に何かしらの気づきになってくれたりしたらいいな、とも思っている。実際に出会う人の数には、限りがある。でも出会ったことのない人とのつながりも、大事にしたい。それが出会いにつながらなくても、そこに心の交流みたいなものがあれば、とてもいいよね。
-
2024年7月11日 01:05 の投稿お待たせしました(→誰が?)。前回に引き続き、秋山純士の若かりし頃シリーズ。【大学中退→編入学で理系の大学に編入→寿司職人】という目まぐるしい変遷を遂げるに至った、最も大きなきっかけは何だったのか。それが「留学」である。20歳にして、僕は1年間の英国留学に旅立った。初めての飛行機&初めての海外。言語はもちろん、気候、人種、風景、食文化…すべてが日本とは違う国である。中でも食文化の違いは非常に自分にとって影響が大きく、それまで日本では当たり前のように口にすることができていたものを食べられないことで、一種の精神的なストレスを抱えていたように思う。日本人として、日本食を食べることができるということは、恵まれていたことだったのか…外国に来て当たり前のことを痛感したのである。日本から一度抜け出すことで、日本の良さを実感する。これは外国に行ったことのある人ならわかる感覚かもしれない。それまで比較的外側に向いていた自分の視点が一気に内向きになったのである。外国で外国の勉強をしている場合ではない。日本人として日本のことを学ぶ必要がある。とりわけ日本の「食」について考察を深めたい。「食」にどうアプローチするか。「食」の原点は農業。帰国したら、俺は大学を辞めて、別の大学の農学部に編入しよう。そう心に決めた。正直なところ、留学中、楽しかった!みたいな記憶がほとんどない。日本語で話す友達も近くにおらず、日本食もほとんど食べれない。でも、日本を「断食」することで自分の中に大きな気づきが生まれた。これが僕にとっての留学の一番の功績だと思っている。(To be continued...)
-
2024年7月9日 21:05 の投稿大学生時代、卒業論文を執筆していた時に、度々言われた言葉がある。「それは君の主観的な意見であって、客観的な裏付けがない」当時僕は文系の大学から理転を志し、編入試験を受けた後に理系の大学に在籍していた。「何で俺の論文なのに、俺の意見を書いちゃいけないんだ?」素直にそう思った。結果として論文は完成させて無事卒業はしたのだが、9割以上の生徒が大学院に進学する中、自分は寿司屋の板前になることを決めた。アカデミックの世界に全くの魅力を感じなくなってしまったのと同時に、そういう世界とは真逆(?)の料理の世界に多大なる魅力を感じた。(このあたりのいきさつに関しては話すと数時間かかるのでまた後日)車エビをきれいに真ん中から包丁で開けているか?大根のツマは究極に細く美しいか?細巻きの具とシャリのバランスは良いか?常に自分の目を凝らしていた。手先が不器用な自分ではあったが、「見て美しいか」「食べて美味しいか」という、ある意味人間の感覚に訴えかける料理の世界というものは、一種人の感動に結び付く側面があり、大変に面白い世界であると感じた。どの領域、どの世界に属していても、そこには何かしらのルールや制限のようなものがあることがほとんどだ。その世界にいることに「不自由さ」「生きにくさ」を感じ、「違和感」を覚えているのなら、次の世界にチャレンジするサインなのかもしれない。次回へ続く(かも)
-
2024年7月8日 21:05 の投稿日々、仕事をこなす。日々、自分のルーティーンをこなす。決まった家、決まった職場。見慣れた環境、一定のタスク。それが、我々の日常。そんな日常を抜け出すには?環境をいつもと変える。食事をいつもと変える。会う人をいつもと変える。いつもと違うものを味わう。それが非日常だ。日常とは分断された時間・空間。僕と会う人にはやはり非日常な雰囲気を楽しんでいただきたい。僕にとってもその出会いは非日常で大切な時間になる。ひとりで非日常を感じたいときは、こういうお酒も悪くない。