写メ日記
-
2024年12月21日 19:05 の投稿秋山です。そろそろ本腰を入れて大掃除を始めようかと思っていたところ、綾瀬さんのポストを見て、掃除は明日からにしようと決意しました。さて、今日は冬至らしいですね。冬至といえばゆず湯に入る風習がよく知られておりますが、もう一つ僕の中では「小豆かぼちゃ」に深い思い入れがあります。小豆とかぼちゃ。この滋味深い食材の組み合わせに、興奮しないゴ〇ラがどこにいるでしょうか?日本食からしばらく遠ざかっていた留学期間を終えて、日本で食べて感動したものの一つがかぼちゃでした。その感動を忘れられず、帰国後は、大学生で一人暮らしであるにもかかわらず、圧力鍋を購入し、かぼちゃを丸ごと一個買い、小豆と一緒に煮るということを日常的にしておりました。今では野生の暮らしに戻ってしまったので、鍋はドラミングの練習にしか用いなくなりましたが、たまにこういった思い出深い一品を食べたくなる時があります。これを見て小豆かぼちゃを作ろうと思ったそこのあなた!とてもシンプルな料理になりますので、とびっきりのいい塩を使いましょうね。いい塩は、食材のうまみと甘さを最大限に引き出してくれるはずです。秋山も、いい塩のように、出会う人の良さを最大限引き出すゴリ〇になりたいと思いましたとさ。どう見ても塩顔ではないかぼちゃマイスター秋山純士
-
2024年12月20日 20:05 の投稿先月からのルーキーキャストの入店ラッシュ。(裏)広報部長としてはX上での情報収集に必死でしたが、ようやく今週になって、キャスでルーキーの方々に実際に会う機会を得ることができました(まだお会いしていない方もいますが)。思えば今年6月にFIRST CLASSに入店した僕も当時はルーキー。しかし今では皆様に支えらえれてレギュラーキャストに。今回のようにルーキーの方に会うときは、「レギュラーの秋山純士」として見られる訳です。ルーキーの時、レギュラーの方にお会いするときは自分から「見る」意識でしたが、今度は逆にルーキーの方に自分が「見られる」。そういった意味で、レギュラーとしての品性や責任を問われるということを改めて自覚できたよい機会となりました。ということで今日は少し視点を変えて語ってみようと思います。僕自身がルーキーの時と今の状況を振り返って比較してみると、なんといっても今はいい意味で同志でありライバルが多い。それだけに同志から刺激を受けることも多い反面、結果の部分での差が焦りとして感じられることも多くなってくるかと思います。努力すれば必ず結果として報われるとは限らない。そして結果というのは現れ方に差がある。ちょっとずつ結果として現れる場合もあれば、急に大きな結果として現れる場合もある。ただ努力の無いところに結果は絶対に生まれない。まあ努力と大それたことを書いたが、実は小さなことの継続だったりする。努力って、自分は今これだけ努力してます!的なことって案外的を外れていることが多くて、そもそも自分が努力と感じている時点で長続きしない。習慣的に継続していて、あとになって、あ、これが努力だったのかな?と気づくものの方が実は価値があったりする。だから努力なんてことばをいったん捨てて、些細なことでいいから自分のできることを継続する、これが大事だと思う。ルーキーの方々、それぞれに個性がある。しかしながら、完璧にキャラや人間として仕上がった人はいないだろうと思う。当たり前だが僕もそうだ。形式上は子ゴ〇ラから親ゴリ〇に昇格したが、まだまだ自分の未熟な点に気づかされる毎日。しかしよく考えてみれば、そういった心境の変化や気づきは、紛れもなくFIRST CLASSとの出会いがあり、そこで出会った人とのご縁があったから感じることができたものだとつくづく思う。FIRST CLASSにたどり着いたことには必ず意味がある。だからFIRST CLASSに出会ったご縁と、これから出会うであろう方々とのご縁を胸に秘めて、ルーキーの方には、自分のペースでいいから一歩ずつ歩みを進めてほしいと切に願う。みんな、ほとんどが僕より若いんだから。なんか堅苦しいこと書いてるなあ、偉そうなこと言ってるなあ、と思われるとまずいので、最後はいつものように。僕自身の生活に例えてわかりやすく言うなら、日々美味しそうな○ナナはないか探し回ったり。日々もっと美しいバ○ナの食べ方はないかと研究してみたり。たまにバナ○を優しく撫でてみたり。きっとそういう何気ないところにどれだけ自分が熱量をもってやれるか、ってことだと思うよ。ウホ。
-
2024年12月19日 13:05 の投稿自分のやっている仕事であったり自分が関係を持っている人であったり自分が住んでいる家であったりそこにふと違和感を覚えるもしくは少しずつ違和感を覚えるときがある自分が意識的に自発的に行う継続と無意識的に惰性で繰り返す毎日には雲泥の差がある違和感は自分の心の声論理的な裏付けなどいらないただただ自分の直感を信じるただただ自分の好きなことに目を向けるそんな瞬間や決断がたまにはあってもいいではないかそれまでの安定を壊すものであっても直感で選んだものには不思議と後悔はない永遠の安定など存在しないリスクがあっても心の声に忠実に進み続けるものに不安定という名の変化を楽しむ権利が与えられる野生の内なる声に耳を傾けるために今日も僕はエクアドル産のバ〇ナを頬張る
-
2024年12月18日 19:05 の投稿ある分野で、華々しい成果を残した人。その人に影響力があればあるほど、その人を目指して、その人に憧れて、多くの人が同じ分野で自分も同じような活躍をしようとする。その成果を残した人の、外見的な部分、派手な部分に人は憧れを抱くが、それは他者には見えていない裏の努力によってもたらされるもの。やっていることは極めて地味かもしれない。誰もやらないような地味なことを誰もやらないレベルで継続する。今の姿は、それまでの行動・継続の結果。その人を知るには、その人の過去を辿ってみないとわからない。自分の強みを探すのもいいが、人がやらない地味なことを自分なりに継続する。遠回りに見えて、実はそれが人より抜きん出た成果を出す一番確実な方法なのかもしれない。今日も僕は継続してバナ○を食べます。
-
2024年12月16日 19:05 の投稿小さい頃はバ〇ナではなく、バットとグローブを持って野原を駆け回っていた秋山です。さて、野球ネタになりますが、野球の投手は「ポーカーフェイス」であれ、と教わった記憶があります。三振を取っても、打たれてピンチになっても、表情に出さずに淡々と投げ続ける。これは相手にとってはある意味不気味にうつります。これを日常でやるとどうでしょう。ビジネスの場面では、物事を冷静に判断できる人、という良い一面に見られることもあれば、感情を表に出さないという意味では、一種冷徹で気持ちが読めない、そんな風に見られることもあるかと思います。〇ナナをもらっても表情一つ変えない。これはミステリアスを超えた一種の恐怖ですね。やはり野生の動物である以上、ミステリアスさは残しつつも、喜怒哀楽のせめて「喜」と「楽」くらいは素直に出してもいいんじゃないかな、そんな風に思う今日この頃です。バナ〇を1本いただいたら歯を見せて笑い、一房いただいたら右手の拳を突き上げて「我が生涯に一房の悔いなし」と雄叫びを上げる。なんとわかりやすい感情表現でしょう。こんな秋山を見たい方は是非ホテルコースのお誘いをオススメします(デートコースでこれをやると職務質問される可能性があります)。直近の空き(秋)山・12月17日㈫ 19時30分~・12月20日㈮ 19時30分~お気の召すままに・12月22日㈰ 13時~男性ホルモンが強すぎて上半身に医療脱毛の効果を感じられなかった秋山純士