
写メ日記
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2025年1月15日 20:05 の投稿小学生の頃は学校に行ってきちんと宿題をやり先生に怒られることもなくちょっとばかり勉強ができたりすると周りから「真面目」とか「優等生」と呼ばれることが多くなるそれでもってちょっとばかり運動が得意となるとちょっとした人気者である中学生になるとそんな肩書に嫌気がさし始める異性にも興味を持ち始める時期勉強をクソ真面目にやっていて何がかっこいいんだ自分をかっこよく見せるためにおしゃれに目覚めはじめ当時流行り出した眉毛のお手入れに人一倍貪欲に取り組んだ真面目と言われるのが嫌になりあえて不真面目に見える行動をしたり不真面目な見た目にしたこともあるそして大人になった今でも僕は真面目と言われることへの違和感がある真面目というよりは人に対して誠実でありたい真面目というよりは自分に正直な自由人でありたい真面目というよりは純粋でありたい大人になった今子どもの頃の学校は社会に置き換えらえれる大人の社会での「優等生」がその生活から果たしてどれだけの充実感や幸せを感じているのか真面目から抜け出す方法を学校で教えてくれるわけではないでも真面目さにとらわれすぎないところにその人自身の個性や自分らしい生き方が見えてくるそんな風に思う
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2025年1月14日 19:05 の投稿人間には人間の動物には動物のゴ〇ラにはゴリ〇の生活がある僕には〇リラの生活しかわからないがきっと他の動物たちは本能のままに空腹になったら食べものを食べて動きたいときに動いて眠くなったら寝て生きているのだろう人間は秩序があり言語を使う社会に生きているであるがゆえにその秩序に縛られてしまったりことばで考え過ぎてしまって窮屈になるときがある動物の鳴き声は何を伝えているのか人間にその真相はわからないが動物の本能によってその鳴き声が生まれているのかもしれない人間にも備わっているであろう本能相手の本能にアプローチしたければ自分も本能を隠したままではいけないのかもしれないそれが性と深い関係があるように思えてならない男女のコミュニケーションにおいてことばは必要だがことばでわかってあげるだけでは不十分なときもあるそこに男性側にしか表現できない本能的な刺激が必要とされているのかもしれないよってバナ〇も食べるだけではなく本能的に武器として使うという選択肢も時には必要なのだと思う
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2025年1月13日 23:05 の投稿クリスマスをピークに街にきらめく華やかなイルミネーションは各地で終わりを迎える慌ただしくもきらびやかな12月が過ぎ新年を迎えると清らかで落ち着いた灯りがしっくりくるのは僕だけだろうか日本に古来からある提灯や行燈見るものに独特のやわらかみと安心感を与えるこの独特の光に包まれた空間には洋の美では表現しきれない和の世界観がある年末年始で疲れた胃腸を労る七草粥を食べるように派手な光に慣れてしまった視覚を和の光で落ち着かせるそんなひとときを味わうのも粋である
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2025年1月11日 20:05 の投稿毎年、正月に帰省すると食べるお雑煮。地域によって餅の形が違ったり、味噌の種類が違ったり、具材が違ったり。たまにお雑煮の話題になって話を進めていくと、地域によっての特徴はもちろんありますが、同じ地域でも家庭によって微妙に中身が違ったりします。今年の正月も僕は実家で母のお雑煮をいただきました。そこで感じたのは、毎年母が作るお雑煮の味が進化しているということ。これは普通に考えて驚きです。だってお雑煮を作るのは一年に一回。一年に何度も作る機会があるならまだしも、一年に一回しか作らないのにどうして進化するのか?一つ言えることは、この味は限りなくばあちゃんの作ってくれたお雑煮の味に近づいている、ということです。今は亡きばあちゃんの作るお雑煮は絶品でした。そしてそのばあちゃんの作るお雑煮の味を、時代を超えて母が伝承しているように感じたのです。お雑煮は、地域性によって決まるのではなく、各家庭の料理の集大成。そしてその味はその家庭の歴史を表現する。だからこそ、年の初めに食べる、大事な料理なのかもしれません。母は偉大ですね。10年以上前に僕が母に教えた紅白なますのレシピを忠実に守り続けていることも驚きでした。親から子へそしてときに子から親へ味を伝承する
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2025年1月10日 20:05 の投稿外でごはんを食べる。自宅とは一味違った空間。店内の内装からはやわらかな木のぬくもりと和のテイストを感じる。お客様の楽しそうな会話と店内に流れるBGMが心地よく調和する。コース料理を食べようか、アラカルトにしようか。アラカルトは自分の好きなものを注文できる。コース料理は、その店のシェフがどういう思いで料理を提供しているのか、まさにその料理の哲学を垣間見ることができる。何の素材を使い、どういう仕事をして、その一皿を完成させたのか。なぜその器を選んだのか。見て、味わって、そのシェフの考え方を無言で読み取っていく。料理とはことばを介さない会話である。心に残る一皿。さりげないサービス。料理の説明の合間に一言二言交わす雑談。そのすべてが、ごはんやさんでの物語を「味わう」ということである。