2021/6/25パラレル山の手セラピスト 3駅め
〜有楽町駅〜
「俺、猫怖いんだわ」
西日暮里でのエピソードを聞いた直後のヨモギさんの感想だ。
なにが怖いんですか?と尋ねると「あいつら、とにかく”突然”じゃん。突然だから、怖いの」とヨモギさんは電子タバコの中身を捨てながら述べた。
突然、奥の面接室のドアが開き、男性が出てきた。
人のいる気配に気づいてなかったので驚いた。
たしかに怖い。
シュッとサラッと、そんな擬音が似合う爽やかな青年。
「失礼します」とさっきまで彼がいた部屋の中身に挨拶をして、こちらにも軽く会釈をして、事務所を出て行く。
少し経って、部屋の中身からミタラシさんが出てきた。
最近になってから、このお店のセラピスト希望者の面接は全てミタラシさんが担当してるらしい。
「どうだった?」とヨモギさんが尋ねる。
ミタラシさんは「んー…」と考え込んでいる。
「結構良さそうじゃんね」とヨモギさんか僕に同意を求めるけど、僕は「僕に意見を求めないでください」とはっきり断った。他者の人生に、ましてやセラピストを今から始めるのか始めないのか分からない他者の人生に、うかうか侵入できない。
「一応、講習は受けてもらってもいいと思います」
ミタラシさんの答えにすぐさまセラピストの数を増やしたいヨモギさんはちょっと不満そうな表情をみせる。
「俺は全然よかった感じ、したけどな。”一応”とかつけなくてもいいくらい。普通にカッコいいじゃん」
「カッコよければいいってものじゃないですよ。キチンと丁寧にサービスを求める女性と接することが出来るのか見極めないと、結局苦労するのはヨモギさんですよ?」
「まあ、そうだね」と納得した風の返事を返した後に、ヨモギさんはようやく復活した電子タバコのランプをくりくり触って準備している。
一週間くらい前。
目黒さん(絢音さんのこと、ふた駅めから名前はボカすことにしたので)からの「僕からの卒業」に関するメッセージのやり取りのことで相談した。
どうしても暗くなってしまうその話題から気を逸らすようにヨモギさんが話し始めた。
「オレ的にはイマイチだったけど、ミタラシちゃんに説得されてデビューした新人の子がいるんだけどさ、評判がすごくよいのよ。女の勘はすごいな」
バツの悪そうな感じで佇むヨモギさん。
きっと、自分のダメな部分を話して僕の落ち込みを和らげてくれたんだと思う。
そういう優しいところがヨモギさんにはある。
奥ゆかしい優しさに応える意味で「僕はヨモギさんに面接してもらいましたから」とフォローの意味で伝える。
「間違いないな」とか「野生の勘も大事だな」とか、一体なにが間違いないのか?んで一体どこをとって自分のことを野生と表してるのか、よくわからない言葉を呟いて、一人で勝手に元気になっていた。
実際、ミタラシさんが来てからお店も調子がよいみたいだし、女性の意見を取り入れることに成功してるのだからヨモギさんは充分にすごいと思った。
そんな風に勝手に頭の中で褒めているうちに、ヨモギさんがミタラシさんに「詩男ちゃんを面接してたらどうだった?」なんて最悪な質問を繰り出していた。
嫌な汗が出る。
「んー、セラピストになる前の詩男さんのこと知らないからなー」
濁された。
この場面で濁されるって…。
ひょっとこみたいな表情でぎこちなく笑う僕を見てミタラシさんが「嘘嘘。きっと即採用でスーパーエースギャラクシーランカーですよ」とやり過ぎたフォローみたいなのをくれてるけど、僕のひょっとこはおさまらない。
「あ、待って。詩男ちゃんに予約のメール入ってるわ」
ひょっとこセラピストと化した僕を誰かが指名してくれたらしい。
なんだか申し訳ない。
「リピートだよ。流石じゃん。〇〇さん。前回と同じ場所で…有楽町だね。覚えてる?」
僕は思わず「え!有楽町婦人ですか!?」と大きな声を出してしまった。「婦人かどうかは知らないけど」とヨモギさんがごもっともなことを言っている。
ひと月前に有楽町でお会いしたマダム。通称、有楽町婦人。
正直、手応えがなかったのでまさかまたお会いする機会が訪れると思ってなかった。
いい感じだな、と思った人が全然音沙汰なくなったり、大丈夫だったかな?と不安に思ってた人が実は気に入ってくれてたり、僕にはもう女心のなにもかもがわからん。
ミタラシさんが「まだまだですね」と捨てセリフのように呟いて自分のデスクへと戻っていった。
「明後日の12時だって」
明後日。明後日までに準備する必要がある。
ハートとテンションの。
11時50分にホテルのロビーに着いた。
有楽町駅周辺にラブホテルはない。
代わりにロイヤリティなホテルがドンドンドンと点在している。
デイユースでの利用なら僕でも出せる値段…とはいえ、場所柄、高級感…に少し緊張してしまう。
見たことのない色と高さの屏風を見上げていた。
「こんにちは」
声をかけられた。
有楽町婦人だ。
本当に有楽町婦人が僕をまた呼んでくれた。
ひとまず「こんにちは」と返す。
「こんにちは」と”普通に”声をかけてもらってよかった。ひとまず安心だ。
初対面の時はそのキャラクターに面食らってしまった。
全く予想のつかない空間に放り投げられた僕は内心”アワアワ”しながら、あっという間に時間が過ぎ、虚ろな記憶しかない。
帰り道に「あれでよかったのかな?」と呟いて、すれ違いざまの女子高生に不審な目で見られたことは鮮明に覚えている。
ともあれ、気に入ってもらったから2回目があるのだ。
自信を持とう。
今日は僕のペースでいくぞ。
「確かめたいの」
有楽町婦人の二言め。
僕はちょいアワアワしながら「なにをでしょうか?」と通常の敬語より敬語マシマシの敬敬語を使ってしまっている。
「あたし、が、なぜ、あなたと、会いたくなったのか、確かめたいの」
僕は「ぜひ」と口にした。
「まいりましょう」と有楽町婦人が手配せする。
僕は「はいっ」と答えた。
声がうわづってしまった気がする。
どうだろ?わからん。
ガラス張りのエレベーターから有楽町の外の様子がみえる。
有楽町婦人は窓の外を眺めながら「あそこはよくランチするフランス風のスペイン料理のレストランなの」と教えてくれた。
「え?フランスなんですか?スペインなんですか?」と聞こうと思ったけど、やめて「はへぇ〜」と相槌をうった。
反対側の窓を指差しながら「あっちはね、バレエを習っていた時にバレエ用にお衣装を買ってたお店が見えるわ。アン・ドゥ・トロワをする前にやめちゃったんだけど」と教えてくれた。
「つまりそれはバレエをしていないということですよね?」と聞こうと思ったけど、やめて「やってそう!」と相槌をうった。
「あ、劇場がみえる。私、ミュージカルが大好きなの」
僕は慣れない高い位置からキラキラした素敵な街並みを見下ろすことに必死で、後に重大な意味を持つ、この一言にそこまで意識を割いていなかった。
エスコートしなければいけないはずが、部屋まで丁寧に案内してもらっていた。
無駄のない有楽町婦人の動きは逆に勉強になるなって思って、真剣に見つめていた。
部屋のドアノブに手をかけたタイミングで有楽町婦人がピタッと動きを止めた。
「あなた、人の目をしっかり見るから好き」
僕も有楽町婦人は本当に人の目をしっかり見る人だな…と思っていたから、驚いた。
初めての共通項ができて、僅かに安心する。
ホッとしたのも束の間、部屋に入るなり、有楽町婦人はベッドに腰掛ける。
「さて」
有楽町婦人は僕を見つめてニヤッと笑う。
「今日は特別な日にしたいの」
突然言われてちょっと困ってしまったので、ひとまず僕は一言告げて、普段通りの準備を始めた。
靴を真横にして並べ、部屋の明かりを調節し、室温を適温にして、シャワーの準備をする。
壁に当たり続けるシャワーの音がBGMのように部屋の中に響く。
「ご準備できました」と呼びにいった時には、既に有楽町婦人はセクシーな下着姿になって両手を万歳してベッドに横になっていた。
「今日は私、女優になりたいの」
有楽町婦人は女優になりたいそうだ。
「私にスポットライトを当ててちょうだい」
悩んだ挙句、僕はフロントから懐中電灯を借りてきしょうか?と提案したが、有楽町婦人は「違う違う」と駄々をこねた。
「詩男の心のスポットライトを当てるのよ!」
心のスポットライトという一見、ドラえもんの秘密道具のようなワードに混乱する。
しかし引いてはいけない。
引いたら負けだ。
目の前の女性が僕の心のスポットライトを求めている。
応えるのが男だ。
「ピカッ!!!」
とりあえず照明がつく擬音を発してみた。
「あ〜眩しい!」と有楽町婦人が目を覆い隠す。
どうやらスポットライトになれたみたいだ。
「綺麗だよ」とスポットライトが呟く。
そう僕は喋るスポットライト。
人型スポットライトロボットなんだ。
いまがたまたま奇天烈な形だけで、実際『ふたりだけの世界』に没入することはとても気持ちいいことだ。どちらが主導でもよいから、他の追随を許さない快感の新世界に到達できたらならば、それはもう極上の悦びだ。
いまがたまたま奇天烈な形なだけで、僕だって、日常から意識を遠く離したシチュエーションプレイが大好きだ。誰だって少しは違う自分になってみたい。普段とは違う姿を引き出すことが僕の役割でもある。
いまがたまたま奇天烈な形なだけで。
「もっと!もっと照らして!」と有楽町婦人が衣服を脱ぎ捨てすべてを曝け出し、身を開いてあらわにする。
「ピカッッッ!!!」
さっきの何倍もの大きな擬音で気持ちを光らせた。
なんなら手の動きもつけた。
手をパーにしてピカッだ。
有楽町婦人は大胆に、しかしどこか照れながら、僕の心のスポットライトを浴びていた。
「女優になれてるかしらぁ?」と有楽町婦人が叫ぶ。
僕は「なれてるよ!舞台がみえるよ!」と応える。
「あぁ、ロミオ…ロミオォ!」と有楽町婦人がジュリエットを演じ始めた。
即座に僕は「ジュリエット!」と叫ぶ。
すると有楽町婦人が「違う!」とまた少女のように駄々をこね始めた。
迂闊だった。僕は喋るスポットライトだった。ただ彼女を照らせば良いのだ。
「あなたは演出家よ!」
斜め上の回答だった。
「私を演出するの!」
どうやら僕はベッドの上の演出家らしい。
どうする?知識がない。
灰皿を投げるか?灰皿を投げるしか思いつかないが、そんなこと出来るわけがない。
「ここはどこぉ?ここはどこなのぉ?」
僕は「有楽町のロイヤリティなホテルのうん号室だよ」と答えそうになったけど「ちがぁう!」が来る気がしたので、その愚直な答えは控えた。
イマジネーションだ。
有楽町婦人はエロスを通して僕のイマジネーションを試しているのだ。
「こ、ここはお城だ!山の…いや…火山の上だ!火山の頂上にある燃える城だ!」
「あつぅい!あつぅい!」
ノってくれた。
火山の頂上でロミオとジュリエットを上演するような、そんなプレイをすればいい。
…
…
…
どんな?
有楽町婦人の芝居に振り回されながらも、僕の手はたしかに感度を生んでいた。
没頭し、限界を越えた集中力が有楽町婦人のいくつもの淫部を捉えていた。
指で淫部に物語を描く。
起承転結、起承転結、起承転結、起承転結…。
有楽町婦人の吐息がどんどん荒くなっていく。
噴火。
有楽町婦人が派手に達したこの現象を「噴火」と言っていいものか戸惑っていたら、自ら「噴火しちゃったあ」と言ってくれたので助かった。
ベッドの下に敷いていたバスタオルがびしゃびしゃになったので取り替えようとすると「待って」と有楽町婦人が上を向いたまま、僕を呼び止めた。
「それを使って」と指差された先には真っ赤な有楽町婦人のカバンが見えた。
中から真っ赤なバスタオルが出てきた。
噴火後のバスタオルと取り換えて、一先ずカラッと横になれるようにした。
「復活!」と有楽町婦人が叫び、ベッドに敷いたばかりの真っ赤なバスタオルを手にする。
復活までが早い。
真っ赤なバスタオルを闘牛士のようにひらひらさせて、僕に向かって目配せしている。
「次は闘牛よ」
…
…
…
僕は朽ち果てていた。
今日は、演出家、闘牛の牛、潜水士、チワワ、ラブラドールレトリバー、メジャーリーガー、パイロット、飛行機の整備士、京急線の駅員…になった。
流石の有楽町婦人も疲れ果てたようですやすやと眠っている。
先ほどまで憎たらしいほどに僕を振り回していた表情とは全然違うまるで少女のような寝顔だった。
有楽町婦人が僕の左腕にヨダレを垂らした。
ホテルのロビーで出会った時はいかにもちゃんとした大人だった。
いまはまるで別人のようだ。
さっきまでのはしゃぎっぷりは有楽町婦人なりの気の抜き方なのかもしれない。
「退屈は嫌なの…」
有楽町婦人が寝言を呟いた。
いや、きっと寝言じゃない。
はっきりと僕の耳に届けたかったのかもしれない。
「まあまあ特別な日になったわ」
帰りのエレベーターの中で有楽町婦人がそう言うので僕は「まあまあって!」と茶化して返した。
楽しそうに有楽町婦人が笑う。
「ごめんごめん。とってもよかった。私たち相性がいいのね。きっと運命の出会いだわ」
ようやく打ち解けられた感じ。
「運命と書いてさだめと読もうかしら」と上流では当たり前なのかよくわからない冗談を言ってくれた。
最初から最後までこの場を楽しくしようと努めてくれる。この人はとてもやさしい人だなと思った。
駅まで送るよと告げたけど「ここで大丈夫」とやんわり断られてしまった。
有楽町婦人は振り向きもせず手の甲を見せながら手を振り、颯爽とホテルの回転扉を華麗なステップで出ていった。
婦人を見送った後、ホテルの回転扉をぎこちなく通り、有楽町の街並みを眺めながら歩いた。
あんなに綺麗に高級なホテルの回転扉をくぐる女性に必要とされて誇らしいなあという気持ちになった。
絶対にこの世界に足を踏み入れていなければあり得ない出会いをまだ不思議に感じている。
ヨモギさんに報告の電話を入れた。
「たぶん
労いの言葉をかけられた後に焼肉に誘われたけど断った。
僕はもうお腹いっぱいだった。
なにも食べてはないけど、一日のキャパを越えていた。
それだけに有楽町婦人が別の男性と別のホテルに入って行くところを見かけた時は驚いた。
ホテルの隣に黒々とした焼き肉屋がみえる。
ありゃ肉も食うな。
–この小説を書いたセラピストさん紹介–
TOKYO BOYS CONNECTION 詩音さん
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