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写メ日記

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  • DJ Now and Zen #21 やくらい行き/寺尾紗穂

    早川倉庫での寺尾紗穂さんのライブは息を呑むほど素晴らしいものでした。

    そのピアノと歌声は美しさと力強さに溢れ、曲間にその作品を作った経緯や歌詞の意味を落ち着いた口調でわかりやすく解説してくれました。

    彼女の楽曲の一部は、国内の地方に伝わる神話や童歌を題材となっています。

    今回のライブで最も印象的だったのは「やくらい行き」という曲でした。


    「やくらい行き」は宮城県加美郡の薬莱山(やくらいさん)に伝わる神話をベースに作られており、間引きが行われていた時代の二人の姉妹が歌詞に登場します。

    寺尾さんの解説によると、姉妹は14歳前後の年齢で、彼女たちは間引きの対象となり二人きりで冬の薬莱山を登る(つまり死にに行く)という悲しい物語です。

    山の中腹でお姉さんが目を怪我して、その場で倒れてしまいます。

    妹は一人での登山を余儀なくされ、頂上まで上りきると、眼前に広がる空や大地の美しさに魅了され、やがて息を引き取り神様になります。


    僕は「やくらい行き」を何度も聴いていたのですが、歌詞の意味をそのときまで全く知りませんでした。

    その解説のあとに曲が演奏され、その美しさと悲しさに涙を堪えることができなくなりました。



    振り返ると、間引きの風習は歴史の授業でもしっかりと教えてもらっていません。

    貧困や飢饉により間引きが行われていた記録が日本各地に残っています。

    食事ができて寝る場所がある今の環境を有り難いと思うと同時に、その歴史について知っておく必要があると感じました。



    下記に歌詞を、Twitterに曲を共有します。



    やくらい行き/寺尾紗穂


    ある日二人は出かけたと

    野をこえ森こえ川こえて

    やくらい山を仰ぎ見て

    やくらい山まで登ったら

    この世のすべてがみえるそな

    つらい気持ちも晴れるそな


    やがて一人は躓いて

    うどの棘子で目を刺して

    それより先は進まれん

    それより先は一人道

    かえるみつめる枯葉道


    闇に吹く風よ

    やくらいの山よ

    病んだあの子が無事なよに

    無事なよに


    やっと登った山の上

    はや宵星も瞬いて

    残した一人をわすられず

    目見開いて焼き付けた

    群青色したこの世界

    話してきかそと焼き付けた


    輝く星よ

    やくらいの山よ

    病んだあの子が無事なよに

    無事なよに


    そんな願いは届かずも

    そんな祈りは叶わずも

    死んだその子の魂は

    薬師の如来になりまして

    まなこの病を治しては

    里の人々助けたと

    無事に登ったも一人も

    今は立派な神さんに

    やくらいの上に今もいて

    この世のすべてをみていると


    目見開いてみていると

    里の人々伝えたと

    山と里とに別れた二人

    昔々の物語


    https://music.apple.com/jp/album/%E3%82%84%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E8%A1%8C%E3%81%8D/1497671110?i=1497671239


    写真のアップライトピアノで寺尾さんが演奏されました。

  • DJ Now and Zen #20 New Mistake/Jellyfish

    そういえば、今年はクラゲの姿を見ることなく夏が終わりました。

    クラゲはサンマと同じように、大量に発生する年もあればそうでない年もあります。

    単純に、今年の夏は僕の海に入る回数が例年より少なかったからクラゲを見なかっただけかもしれません。


    5,6年前の8月、波を待っているときに右脚にアカクラゲの触手が絡みついたことがあります。

    触手が触れた瞬間、電気ショックのような激しい痛みに襲われ、1ヶ月間くらい膝の裏側に傷跡が残りました。

    あれは痛かったですね。

    脚が麻痺してまともに泳ぐことができなくなったので、あのときはサーフボードに助けられました。


    アカクラゲは危険だけれど、毒の少ないミズクラゲの群れが水中をぷかぷか漂う姿は癒されますね。

    小さいし、懸命に傘を開け閉めしていて美しくもあり可愛くもあります。


    大きなクラゲはあまり好きではないですね。

    バリのスランガンというところでサーフィンした際、白人のお兄ちゃんたちが波を待ちがながらサッカーボールくらいのサイズのエチゼンクラゲでキャッチボールしていた光景は衝撃的でした。


    ということで、クラゲ繋がりで懐かしいジェリーフィッシュの一曲をお届けします。

    このバンドのギタリスト、ジェイソン・フォークナーが好きで彼のソロ作品もよく聴いていたのですが、12年くらい前に渋谷のタワーレコードで偶然お会いしたことがあります(当時来日中でタワレコに遊びに来ていた)。

    その場で彼の作品のひとつを購入し、ジャケットにサインをもらいました。


    https://music.apple.com/jp/album/new-mistake/723680259?i=723680717

  • #禅に73の質問 #11 今一番欲しいものは何?

    今欲しいものは、まとまったお金です。

    そのお金で実現したいことは、中学校の給食センターを作ることです。


    だいぶ前の話になっちゃいますが、今年1月31日に配信した「みんなでツイキャス」内の忍くん持ち込み企画Q&A50で、「宝くじで1等当たったら何する?」という質問がありました。

    僕はそのときも「給食センターを作る」と答えました。

    以前掲載いただいた雑誌のインタビューでも同じことを言いました。


    なぜ、僕はいつもそのように答えるのか。

    今回はその理由について触れたいと思います。

     


    給食センターというものは、お金があれば作れるわけではなく、自治体・食品会社・学校の認可や保護者の理解が必要です。

    越えなければならないハードルは無数にあるものの、多くの人々が学校給食の実施・継続を望んでいることだと思います。

     

    心身の成長が加速する10代前半の子どもたちに与えるべきことは、適切な生活環境と豊かな食事です。

    成長期の食生活が疎かになると、その後の長い人生においてあまり良くない影響が続くことは明らかです。

    未来を創造していく彼らに、栄養豊富で十分な量の温かい給食を提供することは我々大人の責務であると考えます。


    しかしながら、僕が住んでいる神奈川県の公立中学校の給食実施率は25%しかありません。

    多くの子どもたちは、保護者が毎朝作ってくれるお弁当を食べています。

    それが手作りの美味しいお弁当であれば、何も言うことはないのかもしれません。

     

     

    一方で、保護者の負担は相当なものだと予想します。

    毎朝5時半には起きて、お弁当と朝食を作り、さらに他のさまざまな家事を片付けていくことは大きな労力と時間を必要とします(悲しいことに、日本ではその役割を果たしている多くの保護者が女性です)。

    兄弟が複数人いると、その生活が10年以上続く場合もあります。


    そこに学校給食があることで、子どもたちは温かい食事に歓喜し、保護者はもう少し長く眠ることができます。


     

    今、日本の国家予算は、若い人たちのために有効に使われているようには見えません。

    子どもたちに温かい食事を与えることなく、返済が必要な奨学金制度は継続し、なぜか高齢者の医療費や軍事費・防衛費などに莫大な資金が投入されています。

    市民の声は官僚たちに届くことはなく、一部の勇気ある指揮者の呼びかけは様々な圧力によってかき消されてしまいます。

    このような事態は、僕の目には悲劇のように映ります。



    どうにかしてこの状況を変えたい。

    そう思っているのは僕だけだはないと思います。

    政治に直接参加することができるのは、年に数回の選挙くらいしかありません。

    だからこそ、まずは自分の意識と消費活動(どこにお金を流すか)を愛のある方角に向けていきたいです。

  • #DJ Now and Zen #19 WEATHER REPORT/フィッシュマンズ

    2022年9月11日、僕はフィッシュマンズのライブに初めて行くことができました。

    あれから3日経ちましたが、それはもう素晴らしすぎて、僕は未だに浮遊感に包まれています。


    フィッシュマンズは僕が最も愛するロックバンドのひとつです。

    彼らが作品を発表していた90年代は、国内のCDセールスが最大の頃で、当時小学生だった僕はフィッシュマンズの存在を知ることなく、椎名林檎や宇多田ヒカルやドラゴンアッシュを熱心に聴いていました。


    彼らの音楽を初めて聴いたのは2009年頃で、バンドが活動休止してからすでに10年の月日が流れていました。

    彼らの音楽は中毒性の高いリズム(特にドラムが好き)と詩世界を持っていて、僕はすっかり心酔し、アルバム「宇宙 日本 世田谷」(1997年発表)のCDをそれこそ擦り切れるくらいまで再生する日々を過ごしました。


    フィッシュマンズは活動再開以降、数えられるほどしかライブをしていません。

    彼らのライブに行くことは僕の念願だったのです。


    「WEATHER REPORT」の生演奏も聴くことができました。

    それらの音は今も僕の体の中で反響しています。

  • 【今日で1周年】なぜ、僕は素敵なお客様に恵まれているのか

    本日、エクスタシー東京の禅として1周年を迎えることができました。

    すべてのお客様、応援してくださる方々、そして剛さん、かえるさん、忍くんに心から感謝いたします。


    おかげさまで毎日がとても充実していて、今のところクレームやトラブルはゼロで楽しく活動できています。


    「素敵なお客様に恵まれている」と言われます。

    僕も心からそう思います。


    なぜ、僕は素敵なお客様に恵まれているのか。

    そして、なぜストレスがなく楽しく活動できているのか。

    その理由について考えてみると、次の結論に行きつきました。

    それは、エクスタシー東京に所属しているということです。


    5年前に剛さんが立ち上げて早々に知名度を上げ、かえるさんが円滑な運営システムを築き、忍くんが新しいフェーズに展開していきました。

    3人が作り上げてきたお店の看板に、素敵な方々が引き寄せられている。

    そのように感じます。


    また、当店は売上のノルマや登録料がなく、割引もお店負担で、キャンペーンやコースはセラピスト自身が自由に作って良いということになっています。

    剛さんは常々、「禅くんの生活や本職をトッププライオリティにしてほしい」という声をかけてくれます。

    つまり、余計なストレスを抱え込むことなく、100%の気持ちとコンディションでお客様と向き合うことができれば、基本的に自由にお仕事ができるということです。


    今は1周年を迎えた充実感と幸せな気持ち、感謝の気持ちで心が満たされています。

    エクスタシー東京に所属できて本当に良かったと思っています。


    2年目の目標は、1年目と同様、1年間続けるということ。

    自分を誇張したり無理をするのは続かないので、これからも自分のリズムで淡々と活動していきます。


    そして、1周年記念新コース”性感なしオイルリンパドレナージュ”が始まります。


    皆さま、これからもよろしくお願いいたします。

店舗INFO

エクスタシー東京
東京 / 女性用風俗
エクスタシー東京は出張専門の女性用性感マッサージ、女性向け風俗店です。オーナー兼セラピストの哀田剛が、過去の豊富な経験(AV男優15年、ホスト3年)とオイルマッサージ、性感マッサージセラピストとして、長年にわたり著名なお客様をはじめ、数多くのお客様に施術させていただいた経験をもとに研究を重ね、独自の施術方法による他とは違う極上のサービスを提供しております。お客様一人一人に寄り添い、様々なご要望にお応えいたします。お客様の悦びが我々の悦びでもあります。迷わず当店の施術サービスを一度ご体験ください。ご満足いただけますよう最善を尽くします。皆様のご利用を心よりお待ちしております。
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