写メ日記
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2024年9月30日 19:05 の投稿なにこれ、タイトルが少しデレてき出してるじゃん。また他のタイトル指定だと思って、最後に100件書いた心持ちを少し吐露しようとしてたのに。インタビュー風に答えるなら、そうですね。ちゃんと一件一件全て僕の脳みそで考え尽くしたモノを提示しているので、共感やコメントを頂けると非常に嬉しい気持ちになります。人とは違った事を書いて『変な奴』と思われるのが好きで好きで。変人、変態、カブキモノ、何なりとお呼び下さい。『普通』と言われるのが何よりも苦痛。季節の変わり目だから出てくるよね。頭痛。日記のタイトルを指定されていると、それに沿って色々と妄想を膨らませる事が出来るし、何より僕の知識や経験を織り交ぜながら様々な話を展開出来るんですよ。このスタイルが1番やり易いかも。この『タイトル指定写メ日記』が導入される以前は『自分の好きな事を好きな様に書こう』と言う意思が強すぎて、いざ出来上がった物に自分でタイトルを付けるのに中々苦労した思い出があります。リアルにデビュー当時からの日記を合わせたら、どれくらいの量を書いて来たんだろうか?中々の量になると思うけど。最初の方に書いたモノは、恐らく今は見る事が出来ないのかな?偶には掘り返して、自分なりに校閲を済ませて新しく編集したモノを改めて出そうか。…そのままもう一度出すのは恥ずかしすぎて、もう1人の僕が待ったをかけているので。ほら、よく言いません?自分が書いた文書や小説を人に読ませる恥ずかしさは『自分のお尻の穴を見せる時と一緒』って。これを初めて聞いた時には、共感をしすぎて福島の名産品くらい首を縦に振っていましたので。僕がアンモモに所属し始めた当時は、いいねやコメント等目に見える形で皆様からの反応を頂ける様な事はありませんでした。本当に、この様なシステムを作って頂いた運営さんと山上オーナーには感謝ですね。しかもポイントも貯まるってハナシ。今日は頭の片隅にタイトルを配置せずに、好きな様に今までの経緯を語る、と言った趣旨の日記だったのであまり小ボケを挟まなかったな。まだまだだ。ニヤっとするに収まらず、しっかり『フッ』と声を出して笑みが溢れてしまう様な質の日記を心掛けてこ。まったみってねー。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@amatsusho_sub
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2024年9月29日 22:05 の投稿これは過去の写メ日記やツイキャス等でも言ってはいるのですが、今はあまり緊張と言う感情そのものを気にしていません。中高生、大学生を経て緊張と言う事そのものに対して鈍感になっていった様な気がします。多分、一種の暗示が麻痺の様な物でしょうが、良い事ではあるのかな?実際、気疲れやメンタルに起因する体調の変化は人より多い傾向にあるますし。自分で気付かない内に''緊張''しているのでしょう。僕が何故ここまで緊張に関して疎くなって行ったのかと言うと、自分でそういった''緊張''をし得る場面を潜り抜けてきた数が圧倒的に多かったからだと、今は自覚しています。昔はあがり症すぎて、勝負事には向いていない性格だと言われ続けてきたのを鮮明に覚えています。精神を鍛える為に習う事になった極真空手。武道の道へ進んだのは良いものの、やはりまだ小学生の時分。そう簡単にあがり症への特効薬になるはずもなく引退。その後野球の道へと進みましたが、自由奔放な性格故、サボったり喧嘩したりえっちな事に興味を持ったりする青い春。高校生までなっても、緊張と言う感情とは折り合いが中々ついてはいませんでした。野球を引退後、大学受験を控えた僕は指定校推薦の友人達がこぞってバイクの免許を取りに行っている中、アルバイトをこなす傍ら、1人こっそりと勉学を齧る事に。ここで選んだのがコンビニと居酒屋と言う接客業でした。この2つを経験したのがかなり大きくその後に響いたような気がする。枚分毎秒そこまで親しい訳では無い人達との、目眩く会話を繰り広げる毎日。緊張なんてしていたら、自分の仕事が溜まっていく一方だったし、何よりバイト仲間や店長に煙たがられるのを避けていた思い出がある。ここが恐らく、まず一つ目の緊張克服分岐点でしょう。二つ目は大学生活に存在していました。僕が入ったら学部学科はと言うと、専門学校顔負けの授業量と質。確かに教授に寄ってムラはありましたが、今思い返すと、まぁ悪くは無かったんじゃないかなと思います。知らんけど。そんな僕の学科では毎日がプレゼンの日々。人前やグループで10分以上のスピーチなんて当たり前。キャンパスライフに現を抜かす暇もあるはずがなく。プレゼン資料作成→グループや教授に報告→原稿起こし→プレゼント→アルバイト→飲み→プレゼン資料作成→以下ループ。冗談抜きにこの様な生活を1年間ずっと、ずっとずっとやっていました。もう、自分が大学生活を楽しみきる為には緊張なんてしようものなら、あっと言う間に出遅れて、2度と埋まる事の無い距離をずぅっと後ろから眺めているだけだったでしょう。僕はそうならない為にも、他人との会話。人脈作りと教授へのゴマスリ&好物把握。これを徹底していました。…あ。後、教育部の大お姉様方へのご機嫌取りも忘れずに。彼女らは全ての学生のレポートや提出物締め切りを''教授''以外で変更する事が出来る偉人達ですから。おかげで大学では浮く事もなく、友人や先輩後輩の幅も大分と広く持てていました。アルバイトでの出会いや、大学生活での出会いでの友人は未だに連絡を取り合う人がいる程。懐かしいなぁ。大学自体はあまり好きにはなれなかったけれど、時を過ごした大学生活その物は好きだったと受け入れています。まぁ、ともかく。以上の二つが僕が緊張に疎くなった大きな要因であります。そしてダメ押しが女性用風俗と言う業界への参入。これは説明するまでも無いですね。これほど『緊張しない事』を徹底して鍛えれる職種も稀でしょう。会話&技術&知識の共有。更に肉体的にも動く部分が多く、逆に『どこで緊張する暇があるんだ?』と思い直すくらいですから。そういった過去を経て、僕はこうなりました。…まぁ流石の僕でもPAR5でツーオン決めた後のパターは相当緊張するんですけれども。身も蓋も無い『ときとば』を添えて、本日の日記は終わり、と言う事で。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@amatsusho_sub
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2024年9月28日 18:05 の投稿何このどっかのCMみたいなタイトルは。今からCM作れって言うのか??もし僕が制作担当になれば、拘りが強すぎて、演出担当の人と、上層部の早くカタチにして放送したい人とで、バチバチに揉め合う未来しか予想できない。最初の小ボケは弱々しく置いておいて。心と体は別にして考える風潮がありますが、この二つを鍛えるとなると、そのどちらもが自然に鍛えられて行く様な気がする。精神力を鍛える為には、身体を鍛える方が良い。とそう言う訳です。中には違った考えの方もいらっしゃいますが、身体を鍛えられている方で、精神の面は脆い方は僕の周りにはいません。彼等は、誰しもが自身の身体と向き合い、じっくりと己を鍛え上げて行く様そのものが精神力を向上させるコツだと認識していると思います。逆に言えば、身体の強化、又は改化を自ら進んで行っていない人は精神面でもいささか脆い様な印象が見受けられます。何もこれが悪いと言及する訳では決してありませんし、『意志が強い』のと『メンタルが強い』とでは意味が全く変わってきますから。自分で書いていても、やっぱり納得する点が多い。やはり心と体を強化を望むなら、まずは肉体的な強化を日々こなして行く事が重要なのでは無いかな、と改めて思う。肉体的にキツい事を我慢すればする程、胆力が付きますし、並大抵の恐怖や形容し難い圧迫感も活性化された細胞が拭い去ってくれる様な気がする。目に見えて身体が強化されて行くと、自身も自ずとついてくる。目に見える結果が手に入ると、今度は目に見えない結果が後からついてくる。そう言った積み重ねが精神面での強化なのでは無いのかな。要するに、筋肉は全てを解決する。と言う事ですね。まぁ、僕のお腹は相変わらずカビゴンのままなのですが。誰か早くポケモンの笛を吹きに来てよ。じゃないとここからどかないからね。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@amatsusho_sub
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2024年9月26日 18:05 の投稿これに関しては様々な種類の方がいらっしゃる印象。と言うか、そもそもメンタルが強い人なんて居ないんですよ。自分の理性がどこまで屈さずにいられるか。所謂、胆力をどれ程磨き抜いてこれていたか、が重要だと思う。メンタルが強い、弱いなんて他人からの評価に過ぎませんからね。自分の中で凹む事があっても、それを糧にして生き抜いて行く、って事は誰しもが通る道だと思うから。それが出来ているからこそ、今皆さんはこの世の中でしっかりとハートをビートさせていらっしゃる。そんな僕の持論展開は重箱の隅にでも置いておいて、わかりやすく『あ、この人そうだな』と思う人の特徴をあげていきましょうか。まず、物事を多方面から見る事が出来る人。自分の事を客観視出来ている人は、簡単にメンタルが揺らぐ事は無いじゃないかな、と僕は思っています。自分を中心に物事を進めて行く事は、非常に大事な事です。しかし、自分''本位''になりすぎてしまうと、他人に期待をしすぎてしまったり、物事が上手くいかない事に納得を見出せなくなってしまう印象。そこから更に視点が極端に狭くなってしまい『責任』と言う十字架を背負わされて、泥に塗れた沼地を長靴で歩かされている様な感覚に陥ってしまう。その点、物事を多方面から見る事が出来る人は責任の関し方と自己の尊重の仕方が上手いですよね。ある程度の妥協は臆さず、同時に自分が主張したい事は曲げない様に持っていく。負の感情をしっかりと落とし込んで、フラットな感情で表に出す。これが出来ている方がメンタルが強い印象を見受けられます。次に、グロースマインドセットが確実にある人。これは僕が語るよりご自身で調べられた方が分かりやすいと思います。僕が言える事は、よく食べ、よく飲み、よく遊び、よく話し、よく疲れ、よく眠り、よく笑い、よく泣く。基本的な人間に備わった感情を恥ずかしいと臆さず、前面に振り撒いている人。…言いたい事はわかります。日本ではこう言った感情は慎むべきだと教育されてきていますから。出る杭は打たれるし、自己中や行儀が悪いと詰られたりするのが常です。しかし、そんなものどうだって良い。自分が信じている所はそこじゃない、と割り切れる人がメンタルが強い印象。中々難しい事ではありますが、自分にとって何が軸なのかを確率させると自然と全てが出来てくるのかな、なんて最近の僕は思っている途中なんです。色々書いたねー。写メ日記では自分の考えを好き勝手にかける分、歯止めが聞かなくなって脱線しまくってしまう。でもね、それを見続けてくれている人がいるし、コメントをくれるのが嬉しいから僕はやっぱり好きな事をを好きな様に書く様にしてる。いつもご精読ありがとうございます。ほんとに。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@amatsusho_sub
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2024年9月25日 18:05 の投稿十人百色とでも言える様なお題がまた上がってきましたね。良いでしょう。受けて立とう。第一には、YouTubeで日本の伝統的な文化や、古来より変わる事の無い情景を見る事です。日本舞踊だったり、あるいは刀鍛冶の鍛造の様子だったり、流鏑馬や笠懸と行った伝統的な文化を堪能する事。又は、忍野八海や飛騨高山。高千穂峡や龍王ヶ渕。そんな我が国日本の厳かで美しい景色の数々を、先祖代々脈々と受け継いで来ている事実。土地神や、そこに生きた人々を慮る事。そんな途方もなく情緒に溢れた瞬間が、荒んだ僕の心を、少し調和してくれるんです。何故だかわからない。けれど、この美しい国に生まれて、悩んで、ぶつかって行く事さえも何故か自然の事の内に思えるんです。真っ白な雪の中で、ただ1人、おぼつかなく歩いている感覚。周りはうるさいくらいに静かで、自分の内側ってヤツと勝手に対話している様な、そんな感覚。また、訳のわからない事を申すな、と。そんな声が聞こえて気がしてきたので、煩わしい表現技法はこの辺りで納めておいて、次の方法へと移りましょうか。第二に、趣味への没頭。僕自身、多趣味であるが故に選択肢が途轍もなく広いのです。サウナは行ってみたり、部屋を暗くして映画を嗜んだり、逆にカーテンを開けて自然光で読書をしたり。はたまた友人とオンラインでゲームをしたり、ナイターのショートコースを回ったり。夜通しお酒を飲んでみたり、風呂場で音楽に集中したり。一つしかやらない時もあるし、連続して行う事もある。いざ没頭すると、時間の概念を忘れてしまうのがネックですが、その間に邪念は無いと言う事なのでそれも良しなのか。まあざっとこんな感じですかねえ。最近は読書をしている時が1番心が穏やかな気がする。活字って本当に心を落ち着けてくれる効果があると思う。書面だって、画面だってどっちだって良い。人の想像を掻き立てる様な''生きた''文字に触れる事ってやっぱり大事なんだよ。僕は、僕の日記に触れてる人の心を少しでも動かせる様な文字を書きたい。常に思ってる事。悩みの助けになりたいだとか、困ってる人が居たら僕の考えを参考にして欲しい、だとか高尚な考えは待ち合わせていない。僕より偉い人なんて世界中に海程いるんだから。そんな事じゃない。そうじゃなくて、少しでも心が動いて欲しいから書いてる。僕に興味を持って欲しいから書いてる。共感じゃなく、妄想して欲しいから書いてる。僕が生んだ文字達を、自分の中に落とし込んで見て欲しい、って。今回は僕なりに2つ方法をこの日記のタイトルに向かって投げかけました。毎度毎度答え方や話の展開が花火の様な僕ですが、僕の日記の読者様方はもう慣れっこだと思うので。どうかご勘弁を。↓↓↓【Lit.Link】天津 翔について様々な記事を纏めています。【アンモモンプートア公式サイト】【天津 翔公式Twitter】Twitter:@amatsusho_sub