写メ日記
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2024年10月29日 20:05 の投稿「あの人には何でも話せる」そんな間柄の人が一人でもいたら、幸せだろうか。それは友達なのか、家族なのか、恋人なのか。「あの人にはなんでも話しているから、きっと理解してくれている」話す話題に制約がないと、話題は無限にある。その人の基本的な情報から、最近の出来事まで。何でも話せると言いながら、実はほぼ話していることは表面的なことだったりする。当然われわれキャストは自分のことに関して、基本情報をすべて話しているわけではない。正確に言えば話せるわけではない。だが既成事実がその人の全てを形成しているのではない。本質的な部分はもっと違うところにある。それはことばで伝わる部分もあれば、ことばでは伝えにくい部分もある。その人がどんな顔つきで、どんな表情で、どんなふるまいをするのか。それだけでも非言語的な表現として、その人を形成する重要な一部になりうる。制約があるからこそ、既成事実にとらわれず、その人の人間像を自由にイメージできる。何を話すかではなく、どう話すか。そして相手の話を、どう受け止めるのか。そこに、本来の人間性が垣間見えると思うと、何を話すかは、二の次なのかもしれない。
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2024年10月28日 19:05 の投稿昨日は唐突なキャスでしたが、ご視聴くださった方本当にありがとうございます。FIRST CLASSのキャストが4人も集結するということはなかなかない機会であり、僕より業界の経験が長い先輩方を話をすることは、自分にとって非常に良い刺激となりました。ご存じの方も多いと思いますが、FIRST CLASSはルーキー期間を経て初めてレギュラーキャストになることができます。そこには当たり前のように人としての常識が必要になってくるし、それだけではなくそこにキャストの+αの個性があって価値が生まれるものだと思っています。まだお会いしたことのない方もいますが、FIRST CLASSは顔の系統的にもキャラクター的にも考え方的にも、様々なキャストが集まっている店舗だと思います。そんな中で今回レギュラーキャストの方と接している中で感じたのは、個性よりも前に圧倒的な「安心感」でした。自然に、会話ができる。心地が良い。そして、その安心感を土台に、男側から見たときにも、それぞれに「魅力」がある、ということ。キャストである前に、一人の男性。そして一人の人間。人として、男として、まず同性から信頼されるか、同性に支持されるか、ということはとても大事だと思うのです。周りの男から信頼されない男が、お客様から本当の意味で信頼される訳がない。周りの男から尊敬されない男が、お客様から本当の意味で支持される訳がない。秋山純士も、FIRST CLASSのキャストである前に、一人の男。人として、男として、まずは周りの男性から信頼され、尊敬される。こんなことを常に念頭に置いて生きていくのは、意外と大事かもしれないね。もちろん、わざとらしく何かを誇示するとかじゃなく、その存在やふるまいや生き方でってことですよ。
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2024年10月26日 20:05 の投稿海辺から水平線を眺めると空はこんなにも広いのかと実感する高層ビルが立ち並ぶ都心とはまるで違う世界そこには日常の些細なことを忘れさせてくれるような自然と世界の広大さを感じるその水平線の先にいつかゴールがあると信じてこれからの未来に何を思い描くのかその余白にどんなストーリーを描くのか自然を見つめながら未来予想図を描くのもたまにはいいかも
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2024年10月25日 19:05 の投稿僕がたまに一人で行く沖縄料理屋さんは、店内に入ると沖縄の空気を感じます。店主の方が沖縄出身ぽいとか、店内に沖縄を連想させるものが置いてあるとか、いろいろそう感じさせてくれる要素はあるのですが、もう一つ大事なもの、それがBGMです。(あ、ちなみに秋山、沖縄っぽいとたまに言われますが、沖縄出身ではありません。)懐メロともまた一味違う、独特の音楽。この沖縄っぽいBGMを聞くと、もう心は沖縄気分。沖縄に小旅行した気分です。沖縄のBGMを聞きながら、左手にオリオンビール、右手にソーキそば、左脚にジーマミー豆腐なんて、贅沢ですね。この情報過多の現代、ともすると目からの情報が多すぎて、それ以外の感覚器官からイメージをする、というタイミングが少なくなっている気がします。たまには目からの情報を意図的に少なくして、鼻や耳や舌といった感覚を研ぎ澄ませてみたいものです。寝る前は視覚の情報を遮断して、安らぎのBGMを流してみるとか、アロマを焚いてみる、とか。あとはFIRST CLASSのキャスを聞いてみる、とか。顔にモザイクがかかっていても、声を聞くと新たなイメージが浮かんだりするものです。え、秋山さんはキャスしないのって?えっと、それは…(次回へ続く)
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2024年10月24日 20:05 の投稿仕事関連で大変お世話になっている方が、大病を患ったことがあった。面会もできない状態が続き、一年も生きられないかもしれない、と聞いた。生きてくれることを願うしかなかった。奇跡的に、その方は復活を遂げた。しかし、久しぶりに会ったその姿は、まるで別人だった。生きながらえてくれたことを嬉しく思う反面、自分が今まで出会っていた人と違う人に接しているようで、違和感を消し去ることができなかった。もしかしたら、その方は生まれ変わったのかもしれない。ふとそんなことが頭をよぎった。再会でもあり、新たな出会いにも感じた。やはりその仕事で、僕はその方と力を合わせて成し遂げなければならないものがある、と自分の使命を再確認した。出会いと別れ。生と死。出会いという名の「生」を授かった以上、別れという名の「死」はいつか訪れる。別れなど本当は目を背けたい。しかし、いつか来る別れを常に意識するからこそ、出会いやその人との時間を大切にできる。そしてその出会いには必ず意味がある。そこで自分が果たすべき使命は何なのか。そんな使命感を色濃く感じ始めている、顔の濃い秋山純士でした。