写メ日記
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2024年9月4日 20:05 の投稿こんにちは。先日X上で清隆さんから、「秋山さんの背中も追っかけていく」なんて言われたものですから、背中の筋トレ強度を1.5倍くらいにした熱血ボーイの秋山です。ふと、「背中を見せる」ということばがありますが、なんで背中なんだろう?という疑問がわきました。筋トレで例えると、だいたい男の人は「胸板を厚くしたい」とか「男らしい二の腕を作りたい」とかいう理由で筋トレを始める人が多いですが、「背中を立派にしたい」という動機で始める人は今までほとんど聞いたことがありません。思うことは、そもそも背中という部位に意識が向いていない。そして背中というのは自分の目からはわかりにくい部位であるということ。でもだからといって重要でない、ということではない。実はこの意識が向きにくい場所ほど、大事だったりする。人を前から見たときの印象。そこには顔があり、その人の外見はほぼそこで決まると言っても過言ではない。後ろ姿。顔は見えない。だからこそその後ろ姿に美しさや雰囲気を出せる人は、すごいと思う。その人の生き様なのか。その人の本当のオーラは、もしかしたら背中に出るものなのか。見えないものをどれだけ意識できるか、人の見ていないところでどういう生き方をしているか、もしかしたらこういうものが全て背中に映し出されるのかもしれない。人がついていきたいと思うような背中。これが本当の意味でのかっこいい背中なのか。背中でモノを語れる大人へ秋山純士
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2024年9月3日 21:05 の投稿先日、とあるラーメン屋さんに入った時のこと。いつものように店員さんに注文を、と思ったら、何か様子がおかしい。いっこうに店員さんがオーダーを取りに来ない。まさか秋山このラーメン屋出禁か!と思ったのもつかの間。気づいたらなんと。目の前にiPadみたいな機械が!ついにラーメン屋までもがタブレット操作になるとは…2日後。たまに行くスープカレー屋さんに入ると。「こちらの画面からオーダーしてくださーい」と店員さん。なんてことだ!!Oh my God!!秋山の心の叫びが店内に響き渡る。最近ではモバイルオーダーなんかもちょこちょこ見かけますね。これお店のオペレーション的にいろいろ便利な部分もあるんでしょうけど、なんか寂しい気も。だって、ホールスタッフは変わらず店内にいるのに、ですよ。僕は店員さんに注文するときに、「オススメはこれで~」とかコミュニケーションをとるのが結構楽しかったりするので、ホールスタッフと客の熱い会話が失われていくのは、個人的に非常に遺憾ではあります。ラーメンは熱いのに、人間関係が希薄になっていくギャップを感じて店舗を後にする。そして季節は秋に向かう…寂しいYo!気候は涼しいのが好きだけどコミュニケーションは熱くいこうYo!(しかしながら個人的にキャッシュレス決済はどこでもできるようになってほしいです)9月に入ったのに熱さが冷めやらぬ秋山でした。
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2024年9月2日 21:05 の投稿誰しも、「好き」なことがある(はず)。好きな食べもの、好きな分野、好きな教科、好きなスポーツ、好きな人…僕もある。僕は好きなことを「仕事」としてきた過去がある。でも決して得意だったから選んだわけではない。どちらかというと不得意な分野ばかり選んできた。不得意だけど好き、は続く。得意だけど好きではない、は続かない。そこに自分の熱量がどれだけあるか、が大事だと僕は思う。僕の兄は高校の英語教師をしているのだが、兄はもともと英語が得意ではなかったという。でも、英語が好きだった。兄は大学卒業後、ずっと英語の教師を続けている。「俺は英語ができない生徒の気持ちがわかる。その生徒の気持ちに寄り添う教え方ができる」まさにこういうことだ。好きで続けていれば、不得意はいつのまにか得意になる。好きは、自分を成長させるいちばんの起爆剤。それが他人にもいい影響を与えられたら、もっとハッピーだよね。別に得意ではないけど、なんか好きなんだよなあ。別に顔がタイプではないんだけど、あの人気になるんだよなあ。皆様、それはチャンスですよ。
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2024年8月31日 23:05 の投稿程よく肩の力を抜こう。がちがちに固めても、たぶんその人の潜在能力は十分に発揮されない。僕の言う「肩の力を抜く」とは、身体的な意味と、精神的な意味の2種類ある。肩の力を抜こうとすると、逆に肩を意識して力が入ってしまう。小さい頃、どうやったら肩の力が抜けるんだろうと疑問に思っていた。でもふとしたタイミングで、いい感じに力が抜けるときがある。そのときは肩のことなど意識にない。何かにとらわれていると、不必要なところに力が入る。そういう時は大抵うまくいかない。とらわれや思い込みから解放される。その先に「抜け」がある。ファッションも生き方も、自然に「抜け感」が演出できればいいよね。
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2024年8月30日 20:05 の投稿「あれがダメならこれでいこう」選択肢が多いということは、リスクを軽減できるという意味でもメリットがある。人の場合はどうか?「あの人がダメでもこの人がいる」本来人には一人一人のキャラクターや人格があり、人の「代打」を用意することは厳密には不可能なはず。でも現実には、例えば企業では誰かがその環境を離れても、また別の誰かで埋め合わせできることがほとんどだ。ではこの業界での「代打」は。「あの人がダメだったからこの人でいいか」では負けである。「この人がいい」と言われて選ばれなければならない。そのために自分ができることをする。そのできることを続ける。試行錯誤する。模索する。改善する。その繰り返しだ。選ばれるということは、他人との競争に見えて、実は違う。自分との対話と自分なりの実践だ。他人から学ぶこともたくさんある。切磋琢磨である。「あいつの代わりはいない」他人から唯一無二と認められるような存在を、自分が作り上げていく。業界の本当の意味でのカリスマ。これができたら、たいていの夢は叶う気がする。